最近は実は修復作業は止まっているのですが、過去に修復した分の報告がまだだったので少々ここらでしときます。
まずは2005年!2月の記事の修復。この頃はって、今も似たようなものですが、年度末が近づくこの時期は会社の業績を気にしながら結構ピリピリしながらやっていたものでした。だからか、ブログの記事も傾向として仕事の進捗管理のような記事がいつにも増して目立ちます。
今回、改めて書いている記事を見て、おや?と思ったのは次の記事。
最近の大阪維新の会が取り組んだ大阪都構想に通じるようなことを書いていました*1。大阪維新の会の取り組みは、結局、実現されなかったし、「都」ってのはどうなのかという気持ち悪さがあったのですが、このままでどうなんでしょう。
懐かしい記事といえば、今は閉店してしまいましたが、宮崎地鶏の丸久さんに比較的よく通っていたのもこの頃ではないかと思います。美味しかったですね。本格的な宮崎地鶏が食べられる、日向地鶏もあったりして、宮崎といえばプロ野球巨人のキャンプ地でもあり、巨人の選手も結構きていたのではなかったかと・・・懐かしい。
そのほかでは、最近またちょくちょくお邪魔している天ぷら中山さんとか、おでんの美奈福さん、今はとんかつ屋になっているゆうさんとかもちらほらと出てきてます。あの頃から全然かわってないことに少しショックを受けたりw
さて、3月は、いよいよ年度末追い込みの一月。最後の方は徹夜をしていたことを呟いています。そう、まだtwitterが出る前だったので、ブログでtweetしてたすね。だから一つ一つの記事がこの頃はまだ短い。
そして懐かしい記事といえば、これ。ORISの懐中時計。これ、記事の中で一生もんにしますと書いてあり、実際、そうしようと思っていたのですが、実際に使っていてよく落としたりして故障したこと数度。その度、修理に出してましたが、現在は故障したまましまってある状況。ことしゃこれを修理しよう。
そうそう、今はなくなってしまったけど、人形町の最後の銭湯、世界湯さんに頻繁にというか、徹夜をするときはその日の夜7時過ぎに必ず通っていたのでした。入湯料は当時400円で回数券を買って、1回分おまけ。それと第3金曜日だったかは無料の日があったりして、頻繁にお世話になりました。
あの空間は贅沢な空間。内湯の代わりにするのに毎日は負担が重いけど、たまに気分転換に入るなら現在460円になってますが、全然高くないと思います。久しぶりに銭湯に入りたくなったけど、今、どこまで行けば入れるのだろうか・・・人形町周辺の銭湯。
そして、翻訳書がほぼ完成したのもこの頃でした。正式なタイトルが決まり、いよいよって感じ。これはでもいい経験させてもらいました。忙しい中、皆に協力してもらって分担して翻訳したのですが、訳語や文体の統一などどこまでできていたのか・・・編集の方の苦労を身をもって知ったのでした。
真夜中の絶望の淵で聞くジャズ・・・仕事に追い込まれて、3末までに終わるのか、多分、無理だと思いながら仕事をしていた頃の記事だと思います。
あの時、コルトレーンに会い、今も聞いていますが、もう当時のような仕事の仕方は流石にできないだろうと思います。今はやっても1回だけ、3回連続で徹夜はとってもではないけど無理。
当時は、徹夜よくやりました。やっている本人としては、没入していると徹夜とかはあまり関係なく、徹夜していても頭の中で思考が回っていればいいのです。それが頭が回らなくなるとストレスが溜まって、徐々に弱って、弱気の虫が出てきて・・・という悪循環に陥るという・・・今もその気はあります。
世の中的にはライブドアの放送会社の買収とかいろいろあった時期でした。これで放送業界は変わるきっかけになるかと思ったのですが、結局、彼らはあまり変わらなかったのかな。
そういう彼らに対し、技術は容赦なく、今はNetflix、Amazon、Appleなどがネット上で動画サービスを提供し、自主制作番組なども流し、当然、これまでのTV番組や映画の再放送もありで、変わらざるを得ない状況になっているところです。どうなるでしょうか。
これで記事修復も、2004年度まで終わりました。次からは4月、2005年度になりますが、どんなことがあったのでしょうか、書かれているのでしょうか。また地道に修復作業を続けたいと思います。