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浅草 松風:2008年3月14日閉店

浅草にある東京を代表する居酒屋「松風」が14日閉店した。

僕が初めて松風に行ったのは、今から10年ぐらい前、1998年ごろの冬だったと思う。それから約10年間という短い間だった(・・・しかも最近はあまり行けなかったが)がお世話になった。

その松風が今週金曜日に閉店した。

今はただお店の方々にお疲れ様でしたというのみ。

僕は閉店前日の木曜日に行ってきた。結果的に前日ということだったのだけど、先週末に行けなかったのでもしかしたらすでに閉店しているかも・・・と心配になり、出かけた次第。

開店時間を勘違いして4時に行ってしまった。当然、まだ暖簾は出ていない・・・あっ、やっぱり閉店しちまった!と思い、店の前の張り紙を見ると、樽詰真澄が日曜日に終了したとあるではないか・・・今にしてみればその終了を店自体の終了と勘違いし、もう閉店しちゃった?と思い、店の中を覗いてみると、灯りがついているではないか・・・で再度張り紙を見てみると、店主が60歳をすぎて体がきついのでちょっと手を抜くことを許してくれるような内容が別に書いてあった。まだやっていたと安心した次第。

Asakusa20080314 開店は5時30分なので1時間半ほど時間ができたということで、仲見世通りから浅草寺、伝法院通りあたりをぶらついて時間をつぶした。その間、いろいろと思い出が頭の中をよぎる。初めて行った時は、U氏とK氏に連れて行ってもらったこと、それから青山一丁目のオフィスから通い始めるようにったこと、燗つけおじさんにいろいろ教えてもらったこと、松風会の会員になれたこと、その他いろいろな人と呑みに行ったことなどなど。

さて時間になったので松風に戻ると、すでに半分は埋まっていた・・・僕がいる間はこれ以上は埋まらなかったのだけど^^

カウンタから遠い席には、二の代わりに使われる土鍋と割箸一膳が記念品としておいてあり、多くの人はそちらで飲んでいた。カウンタに近い半分はその記念品はなく、長くゆっくりお酒を飲んで名残惜しみたい人がいるようだった。

僕の席には他に二人のお客さんがいた。ひとりは僕と同年代のサラリーマン、もう一人はお爺さんだった。サラリーマンの人は通い始めて25年と言っていた。おそらくサラリーマンになってから通い始めた人だろうと思う・・・そう考えると年齢的にも合うし・・・もう一人のお爺さんは松風の斜前に住んでいるとのこと、「たまに来るだけだったけど、なくなるとなると寂しいね」と話していた。

Oden20080314 お銚子を一本、また一本と空けていく・・・まずは真澄をぬる燗で、その次に清泉をやはりぬる燗・・・いつもと同じだ。2本目を頼む時、1本目を少し残して飲み比べができるようにお猪口をもうひとつくれる。これも燗つけおじさんに教えてもらった。頼むつまみも、冬の定番のおでん、子持ちやりイカの2品。そして最後の3本目・・・やはり松風といったら最後は真澄だろう。「真澄、ぬる燗で!」と最後の注文。

万感の思いで最後のお銚子を飲んでいく・・・そして最後の一杯がなくなる・・・「ふーっ、終わった」・・・涙(ウソ^^)・・・というのはこの時点では翌日で閉店とは知らなかった。帰りに勘定しているときに聞いて初めて知った次第。いつまでなの?って聞いたら、明日までだって・・・聞いた瞬間唖然って感じだったけど、前日に来られてよかったと思った。

僕の財布には今も松風の会員のカードが入っている。そこにはハンコが押してあり、お銚子やお猪口と変えてもらうことができたのだが、結局、行使せずに僕の財布の中に残った。これも思い出の一品になったということか。

松風・・・忙しさにかまけてここ4,5年あまり通えなかったことが悔やまれる。

10年間という短い間でしたが、これまでありがとうございましたm(_ _)m

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