日本橋濱町Weblog(日々酔亭)

Quality Economic Analyses Produces Winning Markets

鈴村和成:ランボー、砂漠を行く−アフリカ書簡の謎

ランボー・・・なぞ・・・というより不思議の詩人と言った方がいいか。しかしその印象は彼の作品を読んでもったものではない。記憶が正しければ、僕が小学校ぐらいの頃、サントリーのウィスキーのコマーシャルでランボーをモチーフに描いていてそれがずーっと頭の中に残っていた。

それからランボーの詩集を買ったりしたが、結果は積読。でも頭の中には不思議な存在として残るランボー。そして出会ったのがこの本だった。「砂漠を行く」というところに惹かれたのだと思う。あのコマーシャルも何かの行進をしているようなシーンだった。読み終わって気がついたのが、表紙がランボーの顔写真だったとは・・・それだけ砂漠に惹かれたということか。

4000024175 ランボー、砂漠を行く―アフリカ書簡の謎
鈴村 和成
岩波書店  2000-11


by G-Tools

本書の構成は以下のとおり。

  • 序 ゼイラー幻想
  • ? 書簡・距離・断章
  • ? ハラルの写真家
  • ? オガディン報告
  • ? 紅海の灼熱の岸辺
  • ? 失われた軍隊手帳
  • ? 不穏なルート
  • ? 渦を巻く旅の時間
  • ? アデンのfumiste(ふざけ屋)
  • ? ベドウィンの暗黒の取引
  • ? 賑やかな砂漠
  • Ⅺ 飛脚たち
  • Ⅻ ゼイラーまで

著者の当時のランボー研究の集大成であり、340ページを超える大作だ。内容は、ヨーロッパからアフリカに活動の中心を移したランボーについて、その書簡を縦軸に、ビジネスでの活動を横軸に、当時を再現して行く。

その中でランボーは「詩」を書くのを止めたのか・・・実はアフリカ書簡はその続編として位置づけられないかという点を中心に、ランボーという人物そのものがどういう人物なのかを描こうとあえいでいるように読める。そしてその端々に記述される当時のアフリカの様子も興味深い。これは筆者が3回にわたりランボーの足跡を訪ねたことも大きく貢献しているのだろう。

しかし本書を読んで思う。後の人間がどのようにランボーのことを調べ、彼の行動の裏にある考えや社会での位置づけ、存在の意味を考えても、それはあくまでも後の人の頭の中で形づくられたものでしかない。真の姿は確認できないのだということを。

それはNHKの大河ドラマ坂本龍馬」も同じこと。真実は一つしかないのだが、それをそのまま伝えることは不可能であり、われわれはその一部しか知ることしかできない。それはネットワークや記録メディアが高度に発達し、あらゆる情報がネット上を駆け巡るようになっても変わらないだろう。

だからこそこのような文学研究や文学そのものはその存在価値を維持し続けるのだと思う。

人気ブログランキングへ

ブログパーツ