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坂崎幸之助と吉田拓郎のオールナイトニッポンGoldを聞く:何かをなくしてしまった、なくしつつある日本・・・作詞ができないのはメールのせい?

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はじめに

11年ぶりの「坂崎幸之助と吉田拓郎のオールナイトニッポンGold」を聞いた。シンプルに面白いし、懐かしいし、そうだったのかと今頃理解したりという拓郎を深夜放送で聴いていた世代にとっては嬉しい番組だ。坂崎と拓郎が砕けて笑いながら話しているけど、結構、深い話もしていて、聴いている方は今だから分かる自分もいるし楽しい。

Understanding that time and thinking about the present

時を超えてあの時を理解して今を考える

例えば、今回は、坂崎の前なのにアルフィーのこととか、Gibson J45のこととか、そこから加藤和彦のこととか、石川鷹彦のこととか、高中正義のこととか、ギター奏法のこととかを話してからオープニングが始まる。

日本のエンタメに対する危機感

そして、暑い夏の過ごし方として、韓流ブームの話、そこから韓国のエンタメの凄さの話になり、逆に日本の凋落ぶりが腹立たしいという拓郎。日本は今、大切な何かをなくしていると、テレビ、ラジオ、メディア全般、音楽も演劇も日本は何かを見失っていると拓郎が危機感を持って喋る。そしてもう一度世界を見ろという。作る方も見る方も真剣に問い直す必要があるという。

avex.jp

拓郎と深夜放送

そうかと思うと砕けて話し出して・・・アルフィーはそこそこのテクニックしか持ってないから長持ちするとかね。高見沢を開花させたのは拓郎さんだとかね。櫻井は拓郎を尊敬してないとかね。深夜放送(パックインミュージック、セイヤング、オールナイトニッポン)を制覇したのは拓郎だけだとか。ガロの学生街の喫茶店のB面からA面の話とか。深夜放送の影響力と拓郎の青春とは重なっていて、そのラジオと青春のことを作品化しようとしているとか(上の拓郎のブログ参照)・・・興味深い話が続く。

リスナーのハガキから生まれる唄

そして、さっきの日本のエンタメがダメになった一因ではないかと僕が気づいた話が出てくる・・・それは大体こんな感じ。

その当時、深夜放送に送られてくるハガキを読んでいると当時の若者の考えが見えてくるようなところがあった。その中でもすごかったのが、パックインミュージックの時「春だったね」という歌詞を女の子がハガキで送ってくれたことだった。当時はそういうのがいくつもあった。それを元に曲が生まれてくるという流れだった。別の時の「せんこう花火」もそうだ。当時はラジオを聴いていた若者がみんな詩人だった。それがいつの間にか変わってきてできなくなった。今は、リスナーがくれるメールを読んでもちっとも曲にしようとは思わない。リスナーはただ自分の日記を送ってきているだけだ。要するにメールだからこれでいいんだということなのだろう。これでは唄にはならない。70年代は唄になりそうなハガキがいっぱいきていた。そういう人たちが地方にもいっぱいいた・・・とこんな感じ。

リスナーが失ったもの

その後、坂崎が今は一人でできてしまうからというようなことを言っていた。拓郎もこれからはシンガーソングライターが主流で作詞家は出てこないのではないかと言っているけど、それは専門化するということで、それはそれとして違う見方もできるなと思った。

70年代というか、メール以前は、ハガキの限られた裏書きに自分の思いを全て書き込まないといけない。そうするとメールのように自分の思いをそのまま書いていたら到底書ききれない。だから裏書きに書き切れるように文章を何回も練り直す、推敲に推敲を重ねる・・・出来上がった文章は凝縮され、俳句のような限られた文字数の中で自分の思いが伝わる文章に昇華させることになる・・・結果、一つの作品として拓郎に曲にして唄ってみたい思わせる一リスナーからのハガキになる。つまり知らぬ間に普通のリスナーが作詞家になる営みをしていたということではないかと思った。

この技術を深夜放送を聞く若者の多くが知らず知らずのうちに磨いていた。メールという新しい代替手段の登場によって、この推敲を重ねる過程は必要なくなることは容易に想像がつく。誰も自分の文章を磨かなくなってしまった結果が今なのではないかと。ハガキで伝えていた自分の思いは、メールという新しい技術を使えば紙面の制約もなくなり誰にでも簡単に詳細な文章を送ることができるようになる。そのことは若い時に文章を推敲することで感性を磨く機会を放棄してしまうことになっているのではないか。ある意味、コミュニケーション能力の貧弱化と言えないだろうか。

日本のエンタメ業界、経済界、社会が失ったもの

もしそうであるならばこれでいいのか?もう少し視点を広げると、日本のエンタメ業界だけでなく、日本の経済界も社会も技術進歩によって便利になったことだけを追い求めて、古きもので維持しなければいけないものを蔑ろにしてしまっているのではないか。その結果が日本社会全体の現状なのではないか、だから日本人の劣化や日本経済の弱体化が最近とみに目立つようになったのではないかと考えてしまうのだった。

二人の話は、その後、業界の中の変化(作詞家、アレンジャー、ラジオの構成作家)の話になり、それがどうなのかと上の話の延長線上で聴いてしまった。内容は面白いんですよw、でも一歩引いて考えると・・・ね。

今回の放送は、技術の社会的受容において何を大切にするか、その取捨選択が日本人は下手なんだ多分・・・ということを考えさせられる内容だった。

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