日本橋濱町Weblog(日々酔亭)

Quality Economic Analyses Produces Winning Markets

2020年のGWは最初の緊急事態宣言でした・・・今振り返るあの時

※本ブログおよび掲載記事は、GoogleAmazon楽天市場アフィリエイト広告を利用しています。

 

新型コロナのはじまりは・・・

5年ぶりに正常に戻ったGWが終わった。何気なくブログを見ていたら緊急事態宣言が最初に出された時の記事が目に止まった。それがこちら。

mnoguti.hatenablog.com

もう遠い過去のような気がするが、その発端は、2019年の暮れだった。年末だったか年始早々に、「中国で変な風邪が流行っているらしい」・・・ということを聞いたのが自分の最初。原因が分からない感染症の時は、「うがい、手洗い、ヤクルト*1、R1*2」と製薬メーカーの人からアドバイスもらったりした。そして2000年の春には緊急事態宣言となる。

緊急事態宣言の経験

あの時、どう過ごしていたのか、ここにはその時の過ごしていた様が簡潔に書いてある。自分の生活自体は普段とあまり変わらなく、普通に出社して、仕事して帰ってきて、夜は走ってなどの生活スタイル。ただ精神的にはかなりのストレスを感じていたと思う。面倒くさがりの自分が昼夜、自炊ないしはほか弁生活の回数を増やしていたのだから、公の場で不特定多数の人と接触することをかなり恐れていたのだろう。

この頃(もしかしたら翌年かも)、隅田川テラスに架かる橋は、東京オリンピックを盛り上げるためにライトアップされていた。ライトアップ時間は消灯が早まって短くなったりしたけど、夜、テラスに出ればこの綺麗な景色を見ることができた。隅田川テラスなどに比較的自由に外出できたのは幸いだった。

Bridge over the Sumida River lit up for the Tokyo Olympics

東京オリンピックでライトアップされた隅田川に架かる橋

そのオリンピックも1年延期になり、2021年の夏に実施されたが、自分の中では盛り上がりに欠ける大会だった。

2年目の新型コロナも変わりなし

2年目になる2021年も同じ時期に新型コロナ関連の記事がある。「まったく同じ状況であること、ウィルスの変異型の存在などを考えれば、状況は悪くなっていることに正直唖然とする。 」とのことで、長引く異常事態に結構精神的に追い込まれていたのかもしれない。

mnoguti.hatenablog.com

やっていることは1年前とほとんど変わっていないようだが、昼食はほぼ自炊にしていたようだ。夕食は、「・・・変わった。これもほぼ完全自炊になっている。深川の食品館あおばで週に1、2回買い出しをして肉などは冷凍保存。毎晩、それをソテーして食べることが多い。それに必ずつけるのがスープ。1年前には考えられない自炊っぷりw」とのこと。この頃の自炊生活で若干料理のレパートリーが増えたと思う。

ワクチン接種はどうしたか?

感染の可能性を心配しながらの日々の生活だった。ワクチン接種の順番が回ってきた時にはなんとなくホッとしたのだった。結局、コロナワクチンの接種は複数回実施されたが、大人は何回打っているのだろうか。自分は結局最初の1回(モデルナだったので2回)打っただけだったような記憶だ。もしかしたら2回目までは打ったかも。日常生活で心配しながら行動していた割には最初の頃しか打っていないのだった。

隅田川テラスはよく走った

それからランニングの量が増えて、安定して走るようになっていた(今とは雲泥の違いだ)。この時は暑さが苦手な自分がなぜか暑い夏も走れて不思議だった。7月は219キロ、8月204キロ、9月はなんと281キロも走っている。その後も200キロ以上を翌年の1月まで続けたのだった。なぜこの時、暑い夏にこれほど走れたのかは今もって謎w

まあ、変わらない状況にイライラしながらも、「Withコロナ」を前提とした新しい生活様式に慣れてきているような感じだろうか。だからか、緊急事態宣言や生活についての記事は、この後、2022年のこの時期には書いていない(他の時期に書いているかは未確認)。

自分にとっての新型コロナ感染症

正常に戻るまで5年間・・・自分にとって新型コロナ感染症とはなんだったのだろうかと振り返ると、一番の影響はやはり仕事にあったのかと思う。2023年3月に退職したが、その前3年少々は、新型コロナの影響で会社としては在宅勤務主体で、言ってみれば新しい勤務形態の中、自分は出社して旧態のまま仕事をしていたことになる。仕事には個でやった方がいいものと集団でやった方がいいものとあるが、集団でやった方がいいものについて十分対応できてたのかというとそこは分からない・・・できていなかったのではないか。個でやった方が楽だから、全体としては楽な方に流れていったということだろうか。個でやってもコミュニケーションをとった方がいい時はたくさんあるがそういう機会はおそらく無視されただろう。研究機関としてオープンな組織であったが、いつの間にかクローズな組織に変わっている中で、自分はある意味孤立していたのではなかったか。

新型コロナの蔓延から退職までの日々は、研究者として自分の総仕上げの数年間にするべきだったが、どこか中途半端な感じだった(孤立していたのならば自分のことを一生懸命やればよかったのに・・・)。仕事は日々の対応はあるものの、大きな変化なくすぎていった。研究に目が向かなかったと思う(すでに記憶の彼方)。一方、企業人として振り返ると、人事制度の改正があったことが大きかった。世の中、同一賃金同一労働が叫ばれ、グループではジョブグレード制が導入されたが、会社がそれについていってなかった。そもそも研究も調査もわからない経営陣に制度変更に伴う適切な対応ができるはずもない。退職再雇用という選択肢もあったが、当然、それを選択することはなかった。

これから

2024年の春、新型コロナが終息して1年、やっと新型コロナ前に戻ってきた世の中。一方、戻りきれないところもあるし、変わってしまったところもある。全体としては新しい世の中がそこにあるということなのだろう。自分はどうか・・・退職して1年、新しい世界に完全に踏み出したとは言えないある意味中途半端な状況だが、踏み出したことに後悔はない。これからももがきながら進んでいくだろう。

ブログランキング・にほんブログ村へ

PVアクセスランキング にほんブログ村