以前に白洲次郎の伝記本を読んだときに、彼の人生に興味を持ち購入し、積読にしてあった一冊。
1950年代以降60年代までの雑誌に投稿された書き物を集めて本にまとめたもののようだ。
プリンシプルのない日本 白洲 次郎 新潮社 2006-05 by G-Tools |
本書は構成がしっかりした文章ばかり読んでいる人間には少々読みずらい。
本書の内容は多岐に渡る。吉田首相の事、憲法のこと、男女平等のこと、内閣のこと、経済のこと、インフラ整備のことなどなど、そのときそのときに次郎の周りで起こっていた事を話題に書かれている。
次郎の文章は、途中、脱線する。それも唐突に脱線する。次郎は本書の最初の方で自分の父親は自分以上に傍若無人だったと書いているが、本書を読んだ限り、次郎も相当なものだったのだろうと思ってしまう脱線ぶりだ。
本書を読んで改めて気がつくことは、次郎は社会のある特定層や集団などを支持していたわけではないということだ。吉田茂の懐刀のような役割を果たしながら、当時の自由党(現在の自民党)を必ずしも支持したわけでもないし、新憲法についてもその必要性を説く視点が異なる。
つまるところ、次郎は単なる○○支持などと言えない別の思想(といっていいのか・・・)を持っており、自分を律する時は常にそれに従っていたであろうし、社会を見る目も常にその視点から観察され、判断された。この別の思想が本書の表題になっている「プリンシプル」というものなのであろう。
そのプリンシプルが具体的にどのようなものなのかは本書を読んだぐらいでは解らないであろう。まあ、言ってみれば、noblesse obligのようなものであろうかなどと推察している(・・・と書いたけど、ちょっと違うなあ)。
ここまで解ってしまえば、残りの部分を今読むべきかと自問自答すれば・・・今、読む必要はないなぁ〜と思った・・・ということで100頁過ぎまで読んだところでやめました。
いつかまた機会があったら読もうと思う。