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猪瀬直樹著『昭和23年冬の暗号』:ジミーの誕生日に秘められた占領軍の意志・・・それを乗り越えられない日本

先日、猪瀬直樹氏の以下の本を読んだ。「日本人はなぜ戦争をしたか」という問題意識に対し、東條英機やその周りのステークホルダーを通し、特殊日本的な状況とそれに伴う意思決定の曖昧さを描き出したものだった。そこで明らかにされたのは、その日本的なものは戦後70年以上を過ぎた今日でも改善されないで引きずっている現状であり、読者はそれに思い当たるのであった。

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本書は、その「昭和16年夏の敗戦」の完結編として書かれたものである。それは平成天皇(当時の皇太子)の誕生日に秘められた占領軍(というよりはマッカーサーか)の意志、敗戦国としての日本、日本軍が行ってきた残虐な行為を忘れさせないようにするための仕掛けを明らかにしたものだった。

目次は以下の通り。

  • 第一章 子爵夫人
  • 第二章 奥日光の暗雲
  • 第三章 アメリカ人
  • 第四章 天皇の密約
  • 第五章 四月二十九日の誕生日
  • 第六章 退位せず
  • 終 章 十二月二十三日の十字架
  • 文春文庫のためのあとがき
  • 参考文献
  • 解説
  • 予測できない未来に対処するために

物語はある日記の存在から始まり、著者がその日記の内容を解明し、当時の状況と重ね合わせることによって、敗戦国日本の戦後処理がどのように行われたか、天皇の扱いや位置付けを中心に展開する。A級戦犯天皇を生かすために利用され、そして戦後、敗戦国日本としての責任を忘れさせないため皇太子の誕生日(12月23日)が利用された。GHQはそのような仕掛けを他にも残している。憲法施行の日が昭和22年5月3日だったのは、東京裁判の開廷が昭和21年5月3日だからであるし、A級戦犯28人を起訴したのは4月29日、昭和天皇の誕生日であった。

The code for the winter of 1948 can be called a message from GHQ.

昭和23年冬の暗号はGHQのメッセージと言ってもいい

考察された時期は昭和20年から23年までが中心で、主な登場人物は、日記の著者、皇太子(当時)、GHQではマッカーサー、ホイットニー、ケーディス等である。その他にも多くの人たちが戦後処理を天皇制を維持したままで進めるために動いていたことが整理されている。

日記の著者の生活や行動で当時の庶民(と言っても富裕層だが)の生活を描き、皇太子の日光への疎開生活から当時の子供達が描き出される。マッカーサー他のGHQのメンバーと日本側の政府関係者の動きから、緊迫する戦後処理の動きが明らかにされる。

そこで著者から読者へのメッセージ(それはマッカーサーらの思いだ)は、「歴史は書き換えられるのではない」ということであるし、再刊された文庫版の帯に書かれている「眼前の風景の下には幾重にも過去の風景が地層のように堆積し、ところどころで露出している」のであり、「我々は歴史を背負って生きている」ことを忘れてはいけないのであり、「そのことを認識して初めて、未来に目を向けることができる」、すなわちアジア等の戦争被害者やその家族、あるいは沖縄戦等で犠牲になった国内の一般人に報いることができるのだということを伝えようとしているのだ。我々は加害者でもあり、被害者でもあるという歴史教育の大切さを改めて考えないといけない。

マッカーサーらの思いを受け止め、それを実践してきたのは昭和23年12月23日から自分の誕生日に特別な意味を持たされた平成天皇に他ならない。それは「終章 十二月二十三日の十字架」に記載されている。皇太子の時代に天皇の名代として38カ国、天皇になってからも、かつての敵国等を訪問している。ある時は「戦争によって、様々な形で多くの犠牲者が生じ、いまなお戦争の傷を負いつづけている人びとのあることに、深い心の痛みを覚えます」とスピーチし、またある時は「天皇の名代は、相手国にそれに準ずる接遇を求めることになり、礼を欠くように思われ、心の重いことでした」と述べたことが記されている。平成天皇は自分の立場を忘れることはなかった。そしてそれは今の徳仁天皇に引き継がれている。

本書は、昭和16年夏の敗戦の完結編だと著者は言っている。「日本人はなぜ戦争をしたか」についての結論はどうであろうか。本編で書かれているのは、東京裁判における米国人弁護人の陳述等を通して、交渉ごとで自分の主張を通すためにはくどいほど繰り返す必要があり、そうしないと相手方の主張を認めたと解釈されてしまうので、自分らの主張を認めてもらうまで遠慮はいけないという点であり、一方、日本側の関係者のその場の空気に流されるという個としての自立のなさが浮き彫りにされる。そういう点ではジャーナリズムの日米の違いも大きいだろう。

日本人の忖度や空気を読む気質は個を集団の中に溶け込ませてしまう。それが悪い方に出たのが日中戦争から太平洋戦争の意思決定だった。それは、日本的意思決定の欠陥として、著者の文庫再刊に寄せての短文の中に書かれている。それを乗り越えるためにわれわれはどうすべきなのか・・・ソロモン・アッシュの実験のその後を追い、改めて考える必要がある。

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