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Quality Economic Analyses Produces Winning Markets

吉崎達彦:1985年・・・僕は大学4年生だった

「溜池通信 いかにもこれが経済」に引き続き吉崎氏の著作・・・「1985年」を読んでいる。

歴史は縦に見ることが多いが、ここでは横串を刺して、政治、経済、社会、文化と日本のいろいろな側面から1985年という年を見てみようという試み。書かれたのは2005年・・・今から5年前だ。85年は今から25年前ということになる。

まず最初に日本の盛衰の40年周期説が説明される。すなわち・・・

  1. 1868年から1904年:明治維新から日露戦争まで(上り坂)
  2. 1905年から1945年:日露戦争後から第二次世界大戦の終戦まで(下り坂)
  3. 1946年から1985年:戦後からプラザ合意まで(上り坂)
  4. 1986年から2025年まで?:バブル経済から・・・

ということだそうだ。これを見ただけでちょっと憂鬱になるが、そこはそれ2025年以降の上り坂に向けて今何をすべきかを前向きに考えようなどと自分を鼓舞したりして読み続けている。

4106101300 1985年 (新潮新書)
吉崎 達彦
新潮社  2005-08


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例によって目次は以下の通り。

  • 第一章 政治〜中曽根政治とプラザ合意
  • 第二章 経済〜いまだ眩しき「午後2時の太陽」
  • 第三章 世界〜レーガンゴルバチョフの出会い
  • 第四章 技術〜つくば博とニューメディア
  • 第五章 消費〜「おいしい生活」が始まった
  • 第六章 社会〜『金妻』と『ひょうきん族』の時代
  • 第七章 事件〜3つのサプライズ

1985年は政治の世界でもターニングポイントとなった年と見ることができて、それが第一章の内容。バブルの原因の一つとみられているプラザ合意を中心に書かれています。しかし著者はプラザ合意による円高容認が果たしてバブルの原因としてどれほどのものだったのかという点に一つの見方を示しています。それは商社というビジネスの中に生き、いろいろな人の現場の話を聞いてきた著者ならではの見方と言えると思います。

第二章の経済では、1985年当時の日本経済がいかに若い経済であったかがいろいろな数字とともに説明されており、自分も学生だったあの時代、確かに日本経済というか社会そのものものも活気があったなあなどと妙な納得をしている自分がいたりする。

第三章は世界のことが書かれていますが、東西冷戦の終結とか激動の時代が始まったときだったのかと今更ながら思い出します。印象的だったのは、戦争責任に対する西ドイツ(当時)と日本の違い。欧米もアジアもここから世界秩序の組み換えが始まったということで、その背後には新興国の経済発展なども大きな意味を持ち、あらぬところでサウジアラビア旧ソ連崩壊の原因の一つだったとか・・・。第波いっくな時代だったと思います。

第四章は技術。何があったかというと、電電公社の民営化、ニューメディアブームがあった。今のブロードバンドとケータイの社会への浸透をこの時想像した人はいなかった。当時、ゼミでNTTの電気通信科学館(東京駅近くの大手町側の線路沿いにNTTデータのビルがあるが、そこの2階にあった)に見学に行ったことがあった。そこで教えられたのは、これからの通信の変革を支えるのは、デジタル技術、光ファイバ、LSIだと教えられた。今から振り返ると、それに無線が入るということだろう。

第五章、第六章の消費と社会はみな懐かしい。美味しんぼは今でもたまに昔の巻を読んだりする。酒や料理はそのころから覚え始めたこともあり、今でも懐かしい。ひょうきん族もよくみたし、その前のドリフも見ていた。今は当時に比べても陳腐な番組が全盛になっていることを考えると、やはりメディアは大きく変わらざるを得ないのだろう。

・・・とまあこんな感じで読後感を書けるわけで、1985年から現代を見るとまた違う今が見えてくるのだろうなというところが落ちでしょうか。面白い一冊でした。

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