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猪瀬直樹著『日本人はなぜ戦争をしたかー昭和16年夏の敗戦ー』:数字に基づく事実の確認と確認された事実に基づく意思決定と

「開戦前に敗戦が分かっていた」のに日本人はなぜ戦争をしたか・・・この書籍の存在を知り、書名を知った時、「えっ!何故?」と思い、内容を知りたくなりすぐに購入したが、おそらく10年以上我が家の書棚に積読資産として並べられてきた。

今回、浜町の自宅の本の整理をしている時、たまたま自分の足元に崩れ落ちてきたのが本書であった。「ああ、この本、こんなところに紛れ込んでいたか」と手に取ってパラパラと読み始めたら止まらなくなった。2日間で読み終わった時、総力戦研究所の存在、模擬内閣の結論、東條英機の人となりなど知らなかったこと、今までのイメージがひっくり返されたことなど最近にない刺激的な内容にびっくりした。

It was young men in their 30s who predicted Japan's defeat in 1941

昭和16年に日本の敗戦を予測したのは30代の青年たちだった

目次は以下の通り。

  • プロローグ
  • 第一章 三月の旅
  • 第二章 イカロスたちの夏
  • 第三章 暮色の空
  • エピローグ
  • 解題

全体として、250ページを超える。その中で最初のプロローグは短く2ページとなっている。その「プロローグ」で、「昭和十六年十二月八日の開戦よりわずか四ヶ月前の八月十六日、平均年齢三十三歳の内閣総力戦研究所研究生で組織された模擬内閣は、日米戦争日本必敗の結論に至り、総辞職を目前にしていた。」との記述が後半にある。開戦目前の8月に、自国の敗戦という結論を出した総力戦研究所とはどういう組織なのか、あの時期に敗戦という結論を出せたことが不思議だった。それこそ勝利という結論を無理やり出しそうなものなのに、総力戦として検討した結論を敗戦として出せたのか。そして敗戦という結論が内閣の直轄組織で出ているのになぜ戦争に突き進んでしまったのか。これらのことを頭の中で考えながら読み進めていった。

「第一章 三月の旅」で総力戦研究所というものがどういう位置付けの組織なのか、何を目的にどういう経緯で設立されたのかなどが分かってくる。その中で研究所を構成する所員や研究生が紹介され、「最良にして最も聡明な逸材」であることが書かれている。また、開戦目前に緊急に集められた様子などを通して当時の日本の状況が分かる。

総力戦研究所を研究所として方向付けたのは所長の飯村譲の存在が大きい。その人柄からして研究所の長に適している人として人選されたようだ。また、自身も研究所として研究生をどうしていくかという点についてはいろいろ考えて研究所の運営にあたったことが読み取れる。

「第二章 イカロスたちの夏」では、日米開戦に向けてどうしようもなく事態を進めていく軍部とそれを止められない政治の状況が描かれ、それと並行して総力戦研究所での模擬内閣での検討が進んでいく。そして八月十六日の必敗という結論に至ることが描かれる。その中に登場してくるのが、東條英機だ。そこで描かれる東條は、官僚として、天皇の部下として優秀であるが故に戦争を止められなかった悲劇の人として位置付けられる。

模擬内閣での検討は、各所が保有している角度の高い数字を根拠に進められ、そこで描かれた日米戦は現実味を帯びたものであり、東條はそれを熱心にメモに取っていた。模擬内閣の検討内容を知っていた彼は、開戦すれば日本は負けると分かっていたはずだ。御前会議の経緯などから首相となったが、それは開戦させないための内大臣木戸らの考えであったが、東條にはそれができなかった。

「第三章 暮色の空」では、極東軍事裁判A級戦犯とされた人たちのその後と総力戦研究所の所員、研究生のその後が描かれる。そこでは、戦争を止められなかったA級戦犯とされた人たちと開戦前に敗戦を予想した研究所の人たちとを対比させることにより、戦争に進んでしまった日本という国の何が問題だったのかを浮かび上がらせようとしている。東條英機戦争犯罪人としてスケープゴートにし、それで済ませていいのかと我々に問うているのである。おそらくその答えはまだ出されていないのではないか。

エピローグでは、関係者の間では、取材当時、なお当時のことについて関係者が集まって議論している様子と平和な竹下通りの描写をして筆を置いている。

総力戦研究所の出した日本必敗という結論がいかにその後の事実と重なり合っていたか、なぜそうなったのかは、総力戦研究所の検討においては、数字が重視された点が挙げらると思う。それは今EBPMでの議論に重なる。数字(ばかりではないが)での現状把握と見通しが検討内容にリアリティを与え、そこから結果を出すという手続きがいかに大切か。目標やそれを実現するための課題をいかに具体的に検討するかということの大切さ、それは政策運営でも企業経営でも同様だろう。事実を無視して自分の考えを押し付けるようなやり方は早晩破綻する。

そして開戦したら負けると分かっていても開戦してしまったあの政策決定過程・・・マイナカードのゴタゴタが思い浮かんでしまったのはなぜなのか。住所表記の不統一は昔から指摘されていたことではなかったか。そこからくる名寄せの難しさや問題点は当初から分かっていたのではなかったか。それに対する対応策が貧弱だったが故の今回のゴタゴタということか。日米戦と似てると思う。

この国はあの敗戦から何も変わっていないのではないか。30代の人と言わず、立ち止まって考えるべきことだろう。

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