残念ながら、自分は宇沢先生本人にはお会いしたことはない。自分が大学院に通っていた頃は新潟大学に所属されていた頃と思う。その頃、耳にした先生の逸話というか伝説というか評判は以下のようなもの(真偽のほどは分からない)。
- 宇沢先生は月曜日の朝イチに講義を入れているが、それは週はじめに頭をシャキッとさせるためだった。
- 月曜日の授業中、証明を板書していて、たまに詰まる時があったが、そういう時は教室がざわついた。
- ゼミ合宿に行き、目的地に着くと、まずは「まあまあ」といって、ナップザックから一升瓶が出てきた。
- 自身の考え(社会的費用)で、車を利用せず、ランニングで会議に行っていた。走るのはいいが、時間に遅れるのはどうかとか。
研究面の話はほとんど聞いたことがなかった・・・要するに自分にとって宇沢先生は伝説の人であった。
本書はその伝説の存在だった宇沢先生の生涯を描いたものだが、これを読み終え、伝説の存在だった宇沢先生が一経済学者としての宇沢先生としてリアルに頭の中で描けるようになった気がする。
本書を読み終えて思うのは、経済学に出会ってから終生、宇沢先生の問題意識は市場メカニズムの限界をいかに克服するかということであったのではないかという点だ。個人の効用を最大化することを考える際、その個人の限界と克服を市場メカニズムを前提にどうやって実現するか。そこで出てきたのが社会的共通資本という考え方であり、その視点から市場メカニズムの限界を乗り越えようとしたのではなかったかと思う。
本書は、宇沢先生の幼少期から始まり、学生時代、そして最初は数学者として、のちに経済学の研究者、理論経済学者として頭角を表した頃、さらにアメリカの第一線で活躍していた時期、その後、帰国してから社会的共通資本の理論的検討とその現実への応用を実践した晩年まで様々な関係者へまた宇沢先生本人への取材を元に描いている。
- はじめに「人間」が試されている時代に
- 第1章 リベラリズム・ミリタント
- 第2章 朝に道を聞かば夕に死すとも可なり
- 第3章 ケネス・アローからの招待状
- 第4章 輝ける日々
- 第5章 赤狩りの季節
- 第6章 カリフォルニはの異邦人
- 第7章 別れ
- 第8章 シカゴ大学「自由」をめぐる闘争
- 第9章 もうひとつのシカゴ・スクール
- 第10章 二度目の戦争
- 第11章 「陰(Shadow)の経済学へ
- 第12章 ”ドレス”と”自動車”
- 第13章 反革命(The Counter-Revolution)
- 第14章 空白の10年
- 第15章 ローマから三里塚まで
- 第16章 未完の思想 Liberalism
- おわりに 青い鳥をさがして
- あとがき
本書を読むと、宇沢先生の研究者として、教員としての生涯が分かるとともに、なぜ社会的共通資本だったのか、米国で第一線で活躍していた時期も、経済学の限界を感じつつ、その限界を乗り越えようとしていたのではなかったかなどが頭の中を駆け巡る。
現状のSDGsの取り組みやESG投資など、市場メカニズムからこぼれ落ちていた部分を視野に入れた新しい取り組みがここ数年、出てきているが、これは宇沢先生の問題意識と重なるところがかなりあるのではないかと思う・・・と考えると、SDGsにしろ、ESG投資にしろ、これまでの市場メカニズムを前提として試行するだけでは限界があるのではないかと考えてしまう。
これまでの経済成長、経済発展の代償をいかに考え、将来に同じことを残さないように今をどう考えるべきか。その時、市場メカニズムをどう機能させるべきか、個人は単なる「個人」でよいか。新しい個人像が必要なのではないかを考える必要がある。