すでに「資本主義と闘った男」を読んでいた*1ので、こちらを改めて読む必要があるかと思ったが、資本主義と闘った男を再読するには時間がかかるし、理解を深めるのも大変だということで、そのエッセンスだと勝手に考えて、手にとってみた。
読んでみた結果、宇沢弘文という経済学者の思想形成の背景に対する理解が自分なりに深まったと思う。まず時代背景が大きい。生まれた頃から多感な思春期を、世界恐慌から15年戦争という死と隣り合わせの世界で生きてきたこと*2。そして終戦後の混乱期に学生時代を過ごすことになる。おそらく多くの矛盾の中で生きていくことに対する思いがあったのではないか。
そのような中で数学から経済学、マルクス経済学から近代経済学への研究分野の変更と米国での一般均衡理論や経済成長論における貢献とそこで知る一般均衡理論の限界(≒市場メカニズムの限界、資本主義の矛盾)。それから始まるその限界を越えるための取り組み。その理論的柱になるはずであった不均衡動学と社会的共通資本の構築への挑戦とつながっていく。本書は、そのエッセンスを130頁弱という新書版に納めたものである。構成は以下の通り。
- はじめに 「資本主義」という問い
- 第1章 生い立ち
- 第2章 行動科学の申し子
- 第3章 ベトナム戦争とアメリカ経済学
- 第4章 原点としての水俣病-自然と人間の経済学へ
- 第5章 社会的共通資本とリベラリズム
- 終 章 SHADOWの思想
各章それぞれで気付かされることが書かれている。自分としては、昔から分からなかった、アメリカからの突然の帰国や成田空港問題との関わりの背景を再度知ることができたのは大きかった。一人の人間の生き様として、シンプルで力強さを感じる。
そしてリベラルアーツを重視してきたその教育の姿勢がなぜだったのかという点も本書を読んでいて改めて分かったような気がした。
「宇沢は、ケネス・アロー、レオニード・ハヴィッツとともに一般均衡理論の世界的な第一人者だった。第2章で詳しく触れたように、一般均衡モデルは、完全競争の前提のもとで、全ての市場が均衡状態にある均衡市場体系について考察する。完璧な市場原理主義の世界といえるが、その理論を極めた宇沢やアロー、ハヴィッツはむしろ、一般均衡モデルの限界を厳密に確定していくことで、経済学の新たな課題を発見していった。私的な財ではない公共財をどう扱うべきか、不確実性や規模の経済(外部経済)の存在をどう捉えるか、などと言ったテーマである。一般均衡理論を極めたからこそ、彼らは新古典派理論のウィークポイントを熟知していた。」(本書、93頁)
経済学の限界を知ることは、同時にリベラルアーツの重要性に気づくことになっただろう。この複雑な社会を解明、理解する思想として、一般均衡理論を持ってしても説明できるのは市場の内だけだ。市場の外には多彩な社会があり、そこにさまざまな課題が存在している。そういう社会の複雑さ、多様性を忘れないためにもリベラルアーツが大切だ。リベラルアーツで自分の専門外のことを知ることは、自分の小ささ、無力さを知る営みでもある*3。大学の教養課程が1、2年生にあるのもそこを学ぶためだ。
おそらく只管打坐の考え方に触れているものならば、思考の前提として、市場=社会ではなく、社会=市場+非市場と考えるということは理解しやすいのではないだろうか。これは、個人は実は、社会の中の存在として整理すれば、個人=個人+他者と考えることになる。自分の行動を考えるときは、常に影響を受ける他者を考慮に入れることが必要ということになる。その具体的な仕組みが社会的共通資本になるのではないか。
以上、経済学という世界でその限界を少しでも越えようとした試みが、不均衡動学であり、社会的共通資本の理論であったということが簡潔に書かれている。
本書と前著は市場メカニズムの持つ限界を克服しようとした1経済学者の記録となっている。そしてその取り組みは、資本主義そのものを問い直す今の世の中で、「これからの社会的共通資本」という寄付講座ができるまでになっている。
先日、10月10日に東大で行われたキックオフシンポジウムが開催されている。これは別途YouTubeで配信予定だとのことだった。
下の写真は、大阪大学の安田洋祐氏による社会的共通資本を私的財、公共財、クラブ財の中で分類整理したものである。これから社会的経済資本の経済的性質が明らかにされ、社会におけるその重要性が解明されていくことになる。
その安田氏の論考が日経ビジネスに掲載されている。
研究者としての宇沢弘文を描いた本書の読後感としては、研究とは・・・と思わず考えずにはいられない。そして多くの経済学を学ぶ人にとって単に経済活動を分析する手段としての経済学だけではなく、経済活動を通して人間とは何かを問う思想としての経済学を学ぶことがこれからはより大切なのではないかと思った。
自分にとってこの佐々木氏の2冊は繰り返し読み返す本となるだろう。そして本人の啓蒙書や専門書も長らく積読資産になっていたが、これから少しずつ読んでみたいと思うのだった。