日本橋濱町Weblog(日々酔亭)

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大磯の家

その家は僕が高校3年になる春休みのころできた。たぶん1980年、昭和55年ごろのこと。それから大学院を修了するまで約10年間暮らしたことになる。僕が東京に出てからもこの夏までそこにあった。約30年、そこにあったが、先日7月22日、ついに取り壊した。

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最初のころは写真に写る左側や奥の方向は家がなく、一面の畑だったが、いつの間にか宅地になり新しい家がいくつか建った。だいぶ雰囲気は変わってしまい、今となってはあまり懐かしいという感慨も湧いてこない。まあ、それだったから取り壊すことにもあまり躊躇はなかった。

家のあった場所は大磯町の月京。これで「がっきょう」って読む。月の京なんてなかなか風流な字ですね。この字が行政区画として登場したのは確かこの家が立った後ではなかったかと思う。それまでは生沢の一部だった。大磯と言えば、古くは西行法師の歌に詠まれたり、中世には相模国の国府がおかれたりした土地だ。江戸時代は宿場町、明治後は別荘地として、戦後は東京、横浜のベットタウンとなった。

20世紀少年の自分としては子供のころを過ごした土地であるがたぶんもう大磯に住人として戻ることはないだろうと思っていた。またいつまでも空家で置いておくこともできず、それに聞けば、この場所は小中学校や支所も近くおまけに、スーパーもあって住む場所としては非常にいいのだそうだ。そういう土地を遊ばしておくのは資源の浪費であろうというわけで整理することにした。

いろいろお世話になった家だが、壊すのはあっという間に終わり、確認のため訪ねてみた時に改めて空き地になったところを見て意外に狭く感じた。

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