日本橋濱町Weblog(日々酔亭)

Quality Economic Analyses Produces Winning Markets

さらば大磯

僕の生まれは一応、東京だ。生まれた場所は信濃町からほど近い、慶応病院の隣にある東電病院。その時住んでいたのは板橋区板橋(社会人になり、初めて一人暮らしを始めた時、偶然にも生まれたときに住んでいたところの近くに部屋を借りた・・・妙な偶然だと思ったっけ)。

板橋から大磯に引越したのは1歳ぐらいのとき。あとから聞いたことだが、引っ越し先として大磯を選んだのは、親父が釣りが好きで、大磯が釣りには都合がよかったからだったようだ(僕の体が弱かったからかと思っていたがそうではなかったらしい・・・そう当時は虚弱体質だった)。

ということで小学校低学年ころまではよく大磯ロングビーチ下の海岸に行って、投げ釣りをよく楽しんだ。当然、投げられるわけはなかったので、親父に投げてもらい、僕自身はリールを巻き上げるだけだったが、当時は、キス、メゴチなど半日もいけば結構釣れたと思う。家に持って帰ると、お袋が魚を三枚に下ろし、刺身や天麩羅で食べたのだけれど、小さい子供には小骨の多いキスなんか、ちっとも美味しい魚ではなかったが、今思えば贅沢なことだった。

当然、幼稚園、小学校、中学校、高校は地元の学校に通ったし、大学も近くだったから、自宅から通った。だから僕自身は就職するまで大磯で暮らしたことになる。今、一番思い出されるのは中学高校の頃のことであろうか。あの頃は、野球ばかりやっていて、生活の多くは野球に費やされていた(・・・だからといって強豪校に通っていたわけではないです)。

思い出は野球を中心にいろいろと頭の中のスクリーンに映し出される。もう少しああしとけばとかこうしとけばとかいうのが多いのだけれど、楽しかった思い出もあるけどねえ・・・でも自分のあの頃ってどうだったんだろうってね。

91年に東京に出てしまったので、そのあとは盆暮れに帰ってくるぐらいになってしまった(まあ距離にして70キロと少し、時間にして1時間ちょっとしか離れてないので、盆暮れだけにしか帰らなかったというのは大げさかもしれないけど、でも実際あまり帰らなかったですねえ)。そして今回、親父が北軽井沢に引越すことになったので、大磯を完全に離れることになった。

今となっては大磯の名店と言われるお寿司屋さんや鰻屋さんに行けなくなるのがおしいなぁと思うぐらいなので、大磯を完全に離れる時期としてはいい時期かなっと思っている今日この頃。

ブログパーツ