日本橋濱町Weblog(日々酔亭)

Quality Economic Analyses Produces Winning Markets

編集力の衰退:マスコミの存在意義

最近、いろいろなところに文章を出したり、インタビューを受けてそれが紙面に載ったりする機会が増えている。

業界紙から大手の雑誌までいろいろだ。

文章で出す場合は、依頼元からテーマ、字数、文体などが指定される。その他にもあるけど、割愛。こちらは仕様に合うように文章化してMSワードで電子ファイルにして提出する。

多くの場合、こちらが書いた文章は文字数をオーバーしていることが多い。やはりこちらはなるべく正確に内容を伝えたいから文章が冗長になりがちになる。

そこで登場するのが編集者だ。彼らの仕事はそういった仕様に合わない文章を書き手の言いたいことを読者に正確に伝えるために、仕様にあわせて加工する。そこで我々が書いた文章は磨かれ、多くの人が読むのに絶えるものになる。

このような編集(者。ここでは情報を集めて自分で編集し文章化する新聞記者も含まれる)の役割は、IT社会と言われる今日、必要性はますます高まってこそすれ、なくなることはないだろう。実は、放送業界の存在意義、マスコミの存在意義はそういうところにあるのではないだろうか。そう考えると、通信と放送の垣根が取り払われ、放送がコンテンツ産業の一分野になっても、それで飲み込まれるわけにはならない。まして消滅することはないだろう。

しかし、仮に上述の編集力が減退しているとしたら、それこそ致命的であろう。なぜこんなことを書くかといえば、最近のとある記事を書いたとき(掲載先は有名な週刊誌)に、編集作業でどうみても字数合わせのための文字削りしかやっていないようにしか見えないものがあったからだ。

こちらの言わんとしていることをほとんど理解していないで文章を削り、体裁あわせだけを行っている!としか思えない。すごく違和感を感じながら、自分の原稿を読み返した。当然、ごく初歩的な校正ミスが残っている。いくらなんでもひどすぎるというのが僕の今回の思い。今回あたった人がたまたまそうだったのかもしれない。現に、業界紙などで地道に足で情報を集め、記事を書いている人たちも知っている。

もし今回のことが業界全体に広がっているとしたら、コンテンツを作り出す根幹が弱体化しているということにならないだろうか。TV業界でも同じようなことが起こっていないか?日本のテレビ番組は現在でも海外で高い評価を得ているのか?デジタルコンテンツを作成する人材は豊富にいるのか?海外に流出していないか?

こんなことじゃあ、日本のコンテンツ産業の将来は悲観的にならざるを得ない。

光ファイバが全世帯に行き渡ったとき、そこを流れているコンテンツはほとんど海外資本のコンテンツになっていたなんてことにならないか?

IT経済といわれるようにITが経済の潜在成長率を牽引する分野であるためには、コンテンツ分野で付加価値を創造できるようにならないと意味はないのではないか?そのとき、編集という分野は非常に重要ではないだろうか。

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