尖閣諸島の件とか国連での首相のスピーチでの聴衆の行動の件とかロシアの動きの件とか、国際政治でギスギスしたことが続いている。(国連のスピーチはギスギスとはちょっと違うが。)
いろいろ言われているけれど、要は日本の国際社会における存在がそれだけ軽くなったということではないのだろうか。80年代は、西ドイツ(当時)とならび世界経済を牽引する役割を担わされたほどの経済規模を持っていた日本が、たかが20年程度でここまで凋落するとは・・・と思うのは僕だけか。
中国は日本ではなく、アメリカを見て行動するだろうし、アメリカも中国との間にある日本をうまく利用しようとするだろう。その狭間でどのようにうまく泳いでいくのか・・・そこにロシアがちょろちょろしているから、話がややこしくなる。
政治にしっかりしてもらわないと困るのはそうなのだが、政治がしっかりしても経済が立ち直り、かつ、力強さを取り戻さない限り、こうやって国際政治の狭間でほんろうされることになるのだろうと思う。
今の日本は所詮、その程度の存在だと言うことだろう。その程度の存在から脱出するのは、個々の企業が復活することだ。あるいは新しい勢いのある企業が出てきて、産業の新陳代謝を活発にすることだろう。
そう言えば、公文俊平先生は、かつて著書の中で、その国のエンフォースメントは時代とともに変化しており、昔の軍事力から近年では経済力の時代に変わってきた、そして21世紀が情報の世紀であるならば、この時代のエンフォースメントは知力になるというようなことを書かれていた(下記の著書に書いてあったと思う。ちょっと内容は正確ではないかも)。
情報社会学序説―ラストモダンの時代を生きる NTT出版ライブラリーレゾナント001 公文 俊平 NTT出版 2004-10 by G-Tools |
もし情報の世紀になり、エンフォースメントが経済力から知力になるのであれば、日本がやらなければならないことは、経済を立て直すとともに、その知力を如何につけるかを考えるということだ。時代は変化している。次の時代の飛躍のために新しく何が必要か・・・じっくり考えてみる時かもしれない。