日本橋濱町Weblog(日々酔亭)

Quality Economic Analyses Produces Winning Markets

大磯といえば、創浪閣と吉田邸

大磯はその昔、別荘地であった。

明治から昭和はじめにかけては多くの政治家や財界人の別荘が大磯にはあった。いろいろな歴史小説経済小説に出てきたりする。

その大磯に数ある著名人の足跡を代表するのが、伊藤博文の創浪閣と吉田茂元首相の私邸(通称、吉田邸)だろう。現代の有名人では、例えば村上春樹さんも住んでいるみたいだけど(もうどこかへ引っ越されたかもしれない)。

大磯は神奈川県の中でも避寒避暑地であり、東京への距離も適当なところから、昔から政界財界人の別荘地として利用された。それが現在、交通機関の発達と所得水準の上昇により、かつて別荘地であった大磯も東京、横浜へ通勤する人達のベットタウン化している。

さて、創浪閣・・・言わずと知れた伊藤博文の私邸であった。伊藤博文は大磯から東京まで汽車で通ったそうである。その通勤路であった創浪閣から大磯駅までの道を統監道(とうかんみち)というが、この呼称は、伊藤博文が朝鮮統監をしていたことから町民が親しみを込めて、呼ぶようになったと聞いたことがある(真偽のほどはわからない)。

この創浪閣は、現在でも大磯町の中に残る旧東海道の松並木のもとにあり、場所はいまでも昔を偲ばせるようなところだ。この前までこの創浪閣はレストランや結婚式場であったが、昨日、前を通りかかった所、閉店していた。

伊藤博文の創浪閣(正確にはその跡地という表現があっているかもしれないが)がみすぼらしい姿をさらすというのも淋しい。

淋しいといえば、吉田邸もそうだ。吉田邸といえば、そこから見る富士の山の姿はそれは見事である事(これは現在でも吉田邸のすぐ横を走る国道一号線の切通しから見れば、見ることができる)、またその庭のバラの花の綺麗なことで有名だった。邸内には、銀食器がなどがあり、吉田茂氏が使っていた往時を偲ぶ事ができたと聞いたことがある。その吉田邸はあるホテルの別館であった(創浪閣と同系列)。

この吉田邸も、創浪閣のレストラン閉店と同じ理由でそのホテルグループから手離され、売りに出されたと聞く。すぐ買い手がつけばよかったのであろうがなかなか上手くいかないらしい。それとともに邸内は荒れ放題・・・垣根の外から覗くだけでも、その荒れようのひどさが目に付く。

明治維新以後の日本の礎石を作った人物、終戦後の日本の復興に尽力した人物の関係する建物だけに、現在の状況は残念でならない。

今のままならいっそのこと、すべて取り壊し、石碑だけを残すようにした方がよいのではないかと思ってしまう。

ブログパーツ

そういえば、NCRの工場も無くなって、広い空き地になっていた。何年か前には、ジョンソンも何処かへ引っ越していった。

たまに帰ってくると昔からあったもの、自分が若い頃はまさかなくなることはあるまいと思っていたものが無くなったりしていて、時代の変わり目(否、単に町の栄枯盛衰かもしれないが)にあることを感じないわけにはいかない。