日本橋濱町Weblog(日々酔亭)

Quality Economic Analyses Produces Winning Markets

30年前のショートショート:智木雄太著「情報化社会ーーーK氏の生活.」

このショートショートは、僕の知人の友人が約30年前に書いたものである。先日、偶然見つけたのでここに公開しようと思う。どうも途中で書き飽きてしまったものらしく、後半のストーリーはオチがなんだか分からなくなっているので、中途半端だ。何で天皇制なんだかが最大の謎。それから句点の使い方が下手だ。まあ暇つぶしに読んでいただけたら、知人の友人も喜んでくれるだろう。

▽A▼

ー1ー

K氏は、ごく普通のサラリーマンである。

今日も、都心の職場まで高速鉄道で1時間かけて通勤している。これでも速くなったほうである。10年前は2時間かけて通勤していた。しかも、出社するのは、週に2日程度である。残りの5日間は家にいることになる。その内3日は在宅勤務で、コンピュータ端末機の前が職場になる。休みは2日間である。

みなも同じであろうが、K氏も在宅勤務の3日間はサボるわけにはいかなかった。端末機の稼働状況で仕事の内容が簡単にチェックされるため、企業の勤怠管理は以前より厳しくなっている。このようなことに対して、以前、「プライバシーの侵害につながるものである」として訴訟を起こした人がいた。…が、無駄だった。

「在宅勤務より、出社した方がいいなぁ〜」

これがK氏の口癖だった。

なにしろ、一昔前よりは、広くなったとはいえ、やはり家の中で3日間仕事をするのは、かなりの精神的ストレスであった。

むかしはよかった、社会が第2次産業を中心に 回っているときは、みな工場やオフィスまで、出社してそこで仕事をした。仕事が終われば、仲間と一杯飲み屋で酌み交わしながら、上司の悪口をいって、うさをはらしたものだった。

仲間と飲み屋に行ったことが過去のものとなった現在、第4次産業といわれるコミュニケーション産業の発展により、それまでの通勤・勤務体制はすっかり変わってしまっていた。すべての変化は、電子コミュニケーションの急速な発展のためであった。あらゆる面で、人間そのものはあまり移動しなくても、正確な情報が取れるようになったのである。

2、3年前は、ネットワークが故障することが、年に4〜5回あり、仕事をしている者を喜ばしたものである。

ー2ー

変わったのは、何も大人ばかりではなかった。幼稚園というものはなくなり、小中学校も完全週休4日制であり、学校には3日間だけ、しかも午前か、午後の半日登校するだけであった。だから、昔なつかしい、給食や弁当もなくなっていた。作る必要はなくなってしまったのである。そう、子供の世界も変わってしまったのである。変わったと言えば、夏休み、冬休み、そして春休みもなくなってしまった。

入学は随時、一定の能力に達したと認められた者だけが、小学校への入学を許可された。

しかし、無学歴の人間も昔のように就職で不利になることはなかった。但し、職業選択の自由は半ば制限されていた。それは、貴重な人的資源を有効に使おうという政府の政策のために、各種の検査、調査の後、機械的に職業が決められて行った。K氏も今の職業を自ら選んだわけではなかった。

学歴は必要とされなかったが、コンピュータの端末の前には決められた時間以上接していなければならなかった。そうしなければ、職業を振り分ける資料が作成できないからである。端末機を使って様々なことにアクセスする。それによってその人間が何に興味を持っており、どのような職業に向いているかということを分析する資料が作られていくのであった。

このような世界であるから、花形職業などというものはなかったが、強いて言えば、中央コンピュータのオペレーターだった。

今時の子供は、家の外で遊ぶなどということは一切なかった。外で遊ぶスペースがなくなったという物理的な理由もあるが、それよりも子供を家の中に引きつけてしまった主たる原因は、コミュニケーション技術の発達によるところが大きい。

子供は自分の仲間、友人をネットワークの上で探すのである。学校に行って、そこで友人を作ることなど滅多になかった。

ー3ー

このように現在を生きていく上には、電子コミュニケーションは必需品であり、そのために家計における「コミュニケーション費」(昔流に言えば、「通信費」と「交際費」を合わせたものをいうことになる)は、莫大なものになっている。現在では家計の裕福度を計る尺度として、「エンゲル係数」ではなく、「オアゼム係数」(
コミュニケーション費÷支出)というものが使用されている。

K氏の生活レベルだと、オアゼム係数は、0.5〜0.6であり、中流といえた。

■B□

ー1ー

昨日の殺人事件は国民一般には知らされることはなかった。この国には新聞が無かった。TVやラジオは存在したが、20数年前、マスメディアとして存在していたそれとは根本的に異なっていた。情報化社会の進展で、大衆が存在しなくなったのである。

それは、あらゆる情報に関して、アクセス権が確立していたためである。「国家機密」などという言葉は、死後になっていた。「プライバシー」という言葉も半ば死後になっていた。それにかわって現代社会で重要視されている言葉は、「情報倫理」という言葉であった。

警察も存在していなかった。警察の仕事はすべてコンピュータが代行しており、司法機能だけが存在していた。しかし、裁判所はなかった。必要ないのである。裁判の最初から判決言い渡しまで、すべてはネットワーク上で処理された。

コンピュータが代行できるものはすべてコンピュータがおこなっているのである。

この国の国民は、中央政府によって全ての生活をチェックされている。これも情報化社会のなせるわざである。全国民の行動は、朝起きてから夜寝るまで、さらに寝ている最中もいっさいの行動が、政府ご自慢の高性能コンピュータ『ISO-DASINI』にデータとして入力されているのである。中央政府の役人といえば、響きはいいが、実際のところはコンピュータのオペレータ以外の何物でもなかった。

ここでこの国のコミュニケーションシステムを説明しておこう。

高性能コンピュータ『ISO-DASINI』を中心として、階層構造をしている。誰とでも、いつでもアクセスできる。データベースへのアクセスも(この国の国民なら自由だ。)

ネットワーク破壊者に対しては、非常に重い刑が言い渡され、データ破壊者に対しての最も重い刑は死刑であった。現在で死刑が言い渡されるのはこのときだけである。

◆C◇

この国の国民は、この世に生を受けてから、死にいたるまでの数十年間のすべてを高性能コンピュータ『ISO-DANISI』のデータベースに蓄えられる。だからこそ、いままで描写してきたような社会システムが可能になったのである。

誰がこのような社会を想像したであろうか、そう、1960年代に最初の「情報化社会」という考え方が登場してきたとき、このようなコンピュータに支配される時代が到来するのではと危惧する向きが多かった。しかし、1970年代に続く、1980年代の第3次の情報社会論の登場とパーソナルコンピュータの発達によってそれは消し飛んだかのように思われた。1960年代のの懸念が21世紀初頭において現実化してしまったのだった。

K氏は今日も、高性能コンピュータ『ISO-DASINI』に全てをモニターされているのである。

みなさんは、おわかりであろううか。K氏の生きている時代にも、天皇制が高性能コンピュータ『ISO-DASINI』というう機械に姿を変えて、息づいていることを。

日本人は、その純粋に培養されてきた分、人類の歴史が終わるまで、天皇制から離れられない。