この時もいつものようにもつ焼きが食べたくなり、ふらりと足が向かうのが新宿思い出横丁のささもとさんだ。日曜日でも夜7時を超えると海外からの観光客のみなさんで店内は異国の地になるので、その前にお邪魔する。
そしてこの日は表側の特等席が空いていた。火の前なので一番暑い場所でもあるが、煮込みの鍋や焼いているところを見ながら食べられるので一番お気に入りの場所でもある。
梅割りを頼み、煮込みを食べて次は刺し。最近はだいたいこの刺しのラインナップ。コブクロ、コブ硬、ガツ刺し、赤身、そしてセンマイとテッポーだ。
火の近くにいるので温まらないうちにさっさと食べる。赤身だけは例外。少し温かくなって脂身のところが柔らかくなった頃を見計らってパクッといただく。
そして焼いてもらう。焼いてもらうのは昔はお任せで焼いていたが、最近はいちいち頼むようにしている。そうしないとメニューを忘れてしまうんだな。ボケ防止にもなるし、一品ずつ頼んで焼いてもらう。
こうやって写真で見るとみんな同じ感じに見えるけど、1本1本、みんな違う。当然だ。美味しく個性的なもつ焼きオンパレード。
この時、ふと上を見ると・・・なぜ上を見るかというと、ここの席の上には煙突があって、雨が降るとそこから雨水が垂れてきてしまうのでそこにダンボール箱を畳んで当てているのだが、そこには味噌の段ボールが昔は使われていた・・・その味噌のダンボールではなく、なんと!北軽井沢高原のキャベツのダンボール箱になっているではないか!
それで思い出した・・・もつ焼きにも苦難の歴史があって、その時だったと思うが、バイト君で高原キャベツで有名な嬬恋からアルバイトに来ている子がいて、その子の実家から嬬恋高原キャベツ(夏秋キャベツ)が送られてきて、それをざく切りにして煮込んでその時いたお客さんに出したのがキャベツ煮込みの始まりだったと。
自分はその頃頻繁にお邪魔していて、1週間連続で食べにいくとかよくやっていた時期。多分、キャベツを煮込みで出した最初の日だったかに来て、多分、水か木か金だったと思う。食べさせてもらったのを今でも覚えている。懐かしい。嬬恋と北軽井沢は隣接していて、ほぼ同じ地域、季節的にもそうなるのだろうが、今でもあっちのキャベツを使っているのかと北軽井沢や嬬恋を身近に感じる自分としては嬉しくなるではないか。
今でも自分自身が月一で帰る北軽井沢のキャベツの箱を、ここで見るとは、季節とか、キャベツ煮込みの始まりを考えれば有り得ることなんだけど何か妙な気分というか妙な嬉しさというか、やはり美味しいというか、良い感じで酔っぱらえた。
いつものように食べて、いつものように飲んで、いつものようにそこにあるささもとさんに、北軽井沢の高原キャベツの段ボール。
世間は広いようで狭いってことで美味しくいただきました。
ごちそうさまでした。