日本橋濱町Weblog(日々酔亭)

Quality Economic Analyses Produces Winning Markets

20年ぶりのアマデウス

僕がアマデウスを初めてみたのは、右も左も分からず、大学院に飛び込んだ年だった。

院生の溜まり場になっていたコンピュータルームのビデオで見たのが初めて。

それから何度も見て、ストーリーもほぼ覚えたし、この映画を見たことがきっかけになって、モーツアルトを聴くようになった。

その映画を久しぶりに今回見ている。

B00007IGAY アマデウス ― ディレクターズカット スペシャル・エディション
F・マーリー・エイブラハム トム・ハルス エリザベス・ベリッジ
ワーナー・ホーム・ビデオ  2003-02-07

by G-Tools

20年ぶり、正確には21年ぶりか、今見ても面白い。

今回見て気がついたのは、英語が非常に聞き取りやすいということだ。この僕でも聞き取れる。昔はそんなこと、気がつかなかったけど、今回、見て最初に気がついたのがこの点だった。

年老いたサリエリが告白することによって物語りは進んでいくが、今見ると、サリエリの立場が違った意味で見えてくる。

宮廷作曲家としての誇りがモーツアルトの出現によりいっきに崩れ去っていく・・・自分の内面での葛藤が始まる・・・可哀想に・・・サリエリはまじめすぎたんだなぁ〜というのが思うこと。実際はどうだったか知らないけれどね。

もう一つは、モーツアルトと、サリエリ等宮廷音楽関係者の対比だ。モーツアルトは新しく伸びつつある新興勢力・・・馬鹿にされているが将来性を感じさせる。サリエリ以下の面々はドミナントな時代遅れになりつつある人々・・・目の前では絶頂の栄華を誇っているが、足元からそれが崩れてきている。

強烈だね。サリエリ以下は、何だかんだいいながら、モーツアルトを使うことになる。自らを追い込むことをなから意識しながらも。分析のフレームを工夫すれば、これもある意味イノベーターのジレンマか?

当然、モーツアルトの楽曲はいつ聴いても、耳に心地いい。

ディレクターズカットが20分ほどあるはずなのだが、当然、どこなのかは分からなかった。

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