下巻は明治維新後フランスから帰った後の大蔵省での活躍と大蔵省を辞め、銀行制度を確立すること、国内の産業を興すための制度作りや外国商人資本や国内独占資本との闘いについて描かれている。
雄気堂々 下 新潮文庫 し 7-4 城山 三郎 新潮社 1976-05 by G-Tools |
いつの頃からか忘れたが、渋沢は尊皇攘夷ではなく、実業の世界で新しい日本を作ることを夢として生き始めるようになる。渋沢の思考は、市場メカニズムの理解を前提にして、維新後間もない明治日本において実業(ビジネス)を興すにはどうしたらよいか、どういう組織が適しているかという視点から常に行動を起こした。そして自分の目的を遂げるためにはどうするのがよいかという視点から自分を律していった。
対立を対立として終わらせてはそこには何も残らない。その対立を超えたところに答えを見つけることにより、新しい何かができるようになりビジネスを育てることになる。そうでなければ市場メカニズムの持つ力は十分に発揮されないということがよく分かっていたのか、本能的にそのように動いたのか。
恐らく市場というものはそういうものなのだということを渋沢は若いときの実家での養蚕事業(だったかな?)やその後のさまざまな人との付き合い、フランスでの体験などでその基本を身につけたというところだろうか。
蛇足だが、下巻は特にミクロ経済学を勉強するものにとってはより面白く読めるのではなかろうか。特に海運業を独占する三菱に対し、その独占を望ましくないものとして打ち破ろうとする渋沢たちの挑戦は、市場競争を具体的事例で考えさせてくれる。城山さんは必ずしも経済学には明るくなかったであろうから、そこに経済学者の視点が入ったらどうだろうかと想像してしまう。
現在もあるのかもしれないが、経済学者が、経済小説を直接書くことはなくても、作家と協力などしてもっとコミットするようになれば、経済学の視点から読んでも面白い小説が出てくるかもしれない。