飯田橋のハローワークでの所用が予想以上に簡潔に終わったので、九段下の駅を目指し、少し歩いてみることにした。結構日差しが強い日だったが、お昼前だったこともあり、風はどこか涼やかで、九段下まで歩いた。そして九段下の交差点で、ふと思い立ち・・・「そうだ、靖国神社に行ってみよう」ということで九段坂をスタスタのぼり大鳥居をくぐった。
人出はぼちぼちといったところで、修学旅行生とみられる生徒たちもちらほら。年配の方や現役世代の人もちらほら。海外からの旅行客とみられる人もちらほら・・・全体として適度に人がいて、広さをより感じられる境内だった。
靖国神社のいろいろはHPで確認してもらうこととして、自分としては、短い時間でも自分と向き合わざるを得ない状況がなんとなく欲しかったようで、境内をゆっくり歩いた。
鳥居を過ぎると最初に見えるのが、この大村益次郎の銅像だ。幕末維新の時期に活躍した人物で、最後は非号の死を遂げてしまうのが残念な人物の一人。
大村の生涯については、司馬遼太郎の下記の書籍に書かれている。自分も貪り読んだものだ。
文庫だと、上中下の3巻だが、デジタル書籍だと合本されて入手できる。
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幕末維新の変化の時代を生きた大村益次郎の像を過ぎて、2つ目の大鳥居をくぐるとその先にやっと社殿が見えてくる。広い境内をゆっくりと過去のことを考えながら進む。そしていつしかその思考は未来を向いている。この先どうすればいいのか・・・そんなに深刻ぶっているわけではないが、考えるのはそんなところだ。
やりたいことは決まっていてもなかなか進まない状況をどうすればいいか。なぜ進まないのか、その理由がわかるようなわからないような今の状況をどうすべきかと、自分の生きてきた道を振り返りながらそしてこれからを考える・・・頭の中は過去から未来へ、未来から過去へぐるぐると巡る。
戦争で命を落とした方々が祀られる靖国神社、そこに祀られている人たちの人生はそれぞれであり、自分には想像することもできないが、みんなもっと生きたかっただろうなということは漠然と思う。
大きな菊の御紋を見ながら、個人という存在と組織という存在の間で生きることの難しさを考えさせられる。自分は、今、組織は離れている訳*1だけれど、これからもこのままでいいというわけではないし、どう接していくかは考えないといけないし、自分が必要とされないとな・・・などと考えながら境内を往復した。
大鳥居を真下から見た。より一層デカさが伝わってきた。
今度は明治神宮でも行ってみようか。
*1:存在理由を失い、仕組みの変わり目で矛盾を内包している組織には所属しないようにしたといったところか。