日本橋濱町Weblog(日々酔亭)

Quality Economic Analyses Produces Winning Markets

1行の重み

少し前、とある呑み屋さん(っと言ってもいくとは決まっているが^^)で、あるマスコミ関係の人と隣り合わせになった。その人はその昔、某局で自分の経済番組を持っていた模様。

その人が呑みながら色々なことを語ってくれたんだけど、一番鮮烈に印象に残っているのは、新聞の見出しの1行の持つ重みについて話してくれたこと。

われわれは毎日何気なく新聞を見ている。まず目にするのは見出し。その見出しで「おっ!」と思う記事はリード文を読み、あるいは本文を読む。

その人はおもむろに内ポケットから手帳を出して見せてくれた。そこには短い文章が何ページにも渡ってびっしり書かれていた。しかもそれが2冊。

パラパラめくりながら、その人は・・・

  • 「新聞は見出しがすべて」、
  • 「本文なんてほとんど読んでもらえない」
  • 「見出しが目にとまればしめたもの、リード文、本文を読んでもらえれば万々歳」
  • 「見出しを作るのがどれだけ大変か」、
  • 「見出し一つの付け方ですべての努力が水の泡になる」、
  • 「頭の中は常に見出しをどうするかを考えている」、
  • 「すべての努力はこの1行のためにある」

と、記事を書くこと≒見出しを考えることの重要さを酔っ払いながら語ってくれた・・・そう、そのメモはその人が考えた見出し案のメモだったのだ。

読者は当たり前のように、そしてその裏にある記者の格闘はあまり考えず、見出しを見ている。それは当然で、読者がそのような記者の苦労を意識し始めたら新聞も終わりだろう。当然のことなのだ。

さて、この話は同じ知識労働に従事するものとしていろいろと考えさせられるものだった。自分はプロジェクトのときどうしているだろうか・・・と。

研究所にいる自分は、日々一般の読者を相手にするマスコミとはことなり、多くの場合はクライアントがいて、そこで仕様を固め、契約し、後は仕様に則りアウトプットを提出し、クライアントからの評価を受けることになる。

そういう意味では記者のような状況とは異なる。あえて言えば、最初の企画書を作ること、報告書のエグゼクティブサマリーを作ることが、新聞の見出しに近いものだろうか。彼の話を聞いて、その重要性を改めて認識したりする。それでも読む人の顔は明確に見えているから書きやすいといえば書きやすい・・・はずだ。

また視点を少し変えて、内容について考えると、新聞の見出しの場合はそれまでの地道な取材がそこに昇華しているわけで、1行の背後にある情報量はものすごいものがあるであろう。関係することは調べつくし、そして記事にする。

われわれの調査研究もそうであるべきだと思う。仕様にある範囲の情報だけを集めるだけでは、十分クライアントを満足させる報告書はかけないであろう・・・こんなことは当然誰でもわかる・・・と思う。

アンケート調査をすればそのデータがあり、それを様々な角度からクロス集計したり、多変量解析にかけたりして分析する。問題はその結果を最終報告にするにあたり、どうまとめるかというところにある。分析結果を十分咀嚼して、解釈し結果を導出するためには、アンケート結果を見ているだけではダメだろう。

最低限、マーケティングの分析フレームの基本である3Cや5F(+外部環境)を環境分析として押さえた上で解釈し結果を導出することが必要であろう。それが十分出来ていない報告書は説得力に欠けるのは言うまでもない。つまりエグゼクティブサマリーもつまらないものとなる。

しかし調査のたびに3Cや5F、外部環境に関する情報を収集しているようでは体がいくつあってもたりない。これらは常日頃から組織的な情報収集体制ができていなければならない。シンクタンクの強みはこういう組織力を活かした情報収集整理が可能だということだろう(これが組織で出来ないといつまでも非効率に、個々のプロジェクト単位で最初から情報の収集を行なわなければいけない羽目になる)。

日ごろの地道な情報収集の蓄積があって初めて、個別の分析について様々な分析手法から得られる結果を正確に解釈し、報告書にまとめることが出来る。その作業は新聞の見出しの例を考えるまでもなく、大変なものであるはずだ(「はずだ」と書くところが微妙だが^^)。それで初めてエグゼクティブサマリーのコメントがクライアントの目にとまるようになる。

日ごろの地道な活動をケチってはいけないのだ。それがあって初めてエグゼクティブの目にとまるコメントが書けるようになる。

ついでに付け加えれば、われわれの商売は決してコスト積上げ方式(総括原価主義)で成り立つものではないということだ。あるものは赤字になり、あるものは大幅な利益率をあげられるものある。それで全体として黒字になれば・・・という商売あろう。

それを人件費だ物件費だといって、コストに見合ったアウトプットなどと考えるうちは情報社会の知識産業を担う企業としては失格だ。