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Quality Economic Analyses Produces Winning Markets

ゲーム論家の酔夢譚:詩の饗宴

今、読み終わった。 金子先生の前著(ゲーム理論と蒟蒻問答)も重いテーマだったと思うけど、この本はそのテーマをさらに進めたものとなっている。

432655052X ゲーム論家の酔夢譚:詩の饗宴
金子 守
勁草書房 2006-03-31


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社会科学は人間行動を理論(=モデル)化し、最終目的はシミュレーションや予測を行うこととなる。

これまでの理論化は、興味のある対象に絞り理論化を進め、関係のない事象は切り捨てる(正確には切り捨てているわけではないけど)。つまり「他の事象が等しければ」という前提を置くことで通り過ぎてしまう。

例えばミクロ経済の世界では、価格と数量の関係に注目し分析する。思考実験としては、他の事象が等しいという前提の下、価格と数量の関係だけを取り出すので、きれいに描けるのだが、これを現実のさまざまな場面において実証しようとすると途端に難しくなる。

人間の購買行動(価格と数量の関係)に影響を与える要因は他にさまざまあるからだ。理論どおり説明できないことが、新しい価格と数量の関係を示すものなのか、あるいは他の事象の何かが影響を及ぼしているのか、簡単には判断できない。

計量モデルでは価格と数量の関係以外の要因も考慮したりする。例えばダミー変数などを入れたりする。最近は個票を利用した分析が可能になったので、そういう点では昔よりいろいろな要因を具体的に加味することが出来るようになっている。

しかし、人間行動の複雑さを説明することの難しさは、この程度のデータの改善では限界があるであろうことは想像に難くない。金子先生の本書は人間の行動を説明するための理論的フレームワークに理性や感情を考慮しようとするものだ。つまり今までのモデル化とは次元が違うのである。経済学に出てくる経済人には顔がない。それによる限界を超越するために、顔のある個人を扱えるようにしようという試みだ。

自分の主観だけで判断する独立した個人では社会を考慮するには限界があるし、かといって、客観的判断だけでは、そこに進歩や改善は望めない。社会との相互作用を考えるためには、主観的な思考と客観的な判断の両者が適度に絡み合うことが必要だ。

それを司ると考えられるのが、理性や感情の部分、特に感情の部分ということになり、それを検討するのに詩が適当ということで「詩の饗宴」が設定され、そこで6つのテーマについて検討し、議論された。そして本の最後では饗宴はまずまずの成功で、新たなる課題まで出されている。

さて、今回の詩の饗宴でどこまで当初の課題に対しての進展があったのかは、僕の頭では一度読んだぐらいでは分からない。ただし、この分析の志向するところには共感できる。そこをより深く理解するためには、前著も含めて、何度も読んでみることが必要なのだと思う。

ところで、僕はこの本の冒頭部分を読んだとき、ある映画を思い出してしまった^^

その映画はMatrixだ。

本書のテーマは社会科学における人間行動の分析についてだが、仮に理性や感情を考慮し、社会や人間行動を分析できるようになれば、それはモデル化が可能になるということだろう。そうすればそれをコンピュータのコードに直すことも可能ではないのか?・・・ということは、Matrixのように仮想社会の中で我々が活動することが実現されるのではないかと考えた次第だ。

さらに夕べも茂木さんの話もなんとなく気になる。金子先生と茂木さんが対談したら面白いだろうと思った。

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