少しずつ読み進めている。今回は、第3章「なぜ機械化は進まなかったのか」を読み終えた。
まさしく原著の書名の通り、産業革命前後の状況をテクノロジー・トラップ(技術革新の罠)*1の視点で解釈し、解説したものだ。
これは、何かの議論に似ていると思った・・・何だったろうかと考えていて、ふと気づいた。あれだ、イノベーターのジレンマ*2(和名はイノベーションのジレンマ)の議論と共通している部分があると思った。
イノベーターのジレンマは、競争市場における技術革新による新しい製品に対する企業行動(ミクロレベル)を分析したものだが、本書、テクノロジー・トラップは、もう少し視野が広く、マクロレベル(労働者、権力者、そして技術の関係)での分析を時間軸の中で整理しているといったところではないかと。
第3章は、その視点でイギリス及び大陸ヨーロッパ諸国の産業革命前後の状況を分析して見せる。そこには、産業革命が革命という言葉からイメージされる急速な変革では決してなかったこと。イギリスで産業革命が最初に進展したのは経済社会の諸条件、統治者の置かれた立場で、産業革命、すなわち農業資本から機械資本が経済発展をもたらす社会に変容していった点を分析し、それに対してフランス等大陸ヨーロッパではなかなか産業革命が起こらなかった要因を明らかにしている。
ここまで読んでくると、おそらく多くの人は「このもがき苦しむ姿はどこかで見たことがあるような」と思うのではないだろうか。そう、今の日本のことだ。日本はバブル後の1996年ぐらいまではアメリカに肩を並べる経済大国であった。それがあれよあれよという間に衰退し、現在の為体(ていたらく)だ。
経済社会が成長から背を向けてしまった今の日本は、バブル崩壊以降、この技術革新の罠に陥ってしまい、30年近くにわたって、その罠に気づかず、真綿で首を絞められるように、あるいは、茹でガエルのように知らぬ間に抜き差しならぬレベルにまで落ちていってしまった国と見える。
バブル以降、経済社会を成長させるための技術は、もちろんデジタル技術だ。そのデジタル技術がもたらす便益を最大化できていないのが今の日本。それをうまくやったのが米国、国家主体で米国を猛追しているのが中国だ。デジタル技術を前提にした新しい経済主体の成長ができきなかったのはなぜか、これまでの機械資本を前提とした経済主体がそれを阻害してきていなかったか、政治権力がどちらをむいていたかなどなど、テクノロジー・トラップの視点で分析してみると、いろいろ見えてくるところがあるのではないかと思う。
(つづく)