先日、2004年8月のブログ記事の修復が終わった。8月は全部で100本の記事があったが、その記事の大部分は400字より短い、今ならtwitterで呟くようなことがたくさん書いてある。
ブログをこういう使い方していたのが自分の他にもいたかは分からないが、当時の自分の使い方からすると、twitterがサービス開始してから間も無くの2007年8月8日からそのtwitterを使い始めたのも理解できる。
ブログ記事の修復は、GW中に比べればそのペースはだいぶ落ちたが、日々、少しずつ続けている。2004年は繰り返し書いている通り、記事数がやたら多いので、ひたすら編集画面を開き、用をなさなくなったタグを外し、リンク切れを確認し、可能なものは新しいリンクに設定し直してという作業が繰り返される。
記事が短いので、文章を修飾しているところはそれほどでもないので、数は多いけど作業は単純なので大変ではないのだが、何しろ100回同じようなことを繰り返すというのは苦痛であるのは、苦痛だ。
まあ、それはそれとして、2004年8月の記事は、どんな内容だったかというと・・・ブロードバンドの翻訳が最終的な場面になってきておりその作業の記事が増えている。そして仕事一般の記事・・・こちらは日々の仕事に対して、やっていることが多すぎるという恨み節や自分の処理能力の低さを呪う記事とか、そこから派生して、研究という仕事に対するそもそもを書いてみたり、今でも読み返すと考えさせられる内容のものもある。
研究面では、秋のITS大会での発表に向けてその論文と格闘している様子が描かれている。携帯電話をテーマにした論文だったと思うが、かなり苦戦していることが描かれている。それに関連して、総務省の競争評価に関する記事が目に付く。当時は競争評価プログラムが導入され始めたところでかなり注目されたのだった。あの時、離散選択モデルが初めて政策面で使われて、この分析手法についていろいろ説明を受けたことを覚えている。
それから固定電話と携帯電話の代替性の話もしている。当時は、携帯電話は第3世代、固定インターネットは光ファイバが視野に入っており、すでにサービス提供が行われていたか・・・という時期で今後の通信市場で固定はいらなくなるのではないかなどと言われ始めたのもこの頃だったのではないか。だから、代替性が問われたのであろうと思い返してみたり。
日々の生活では、食事と体重の話が多い。この頃の体重は今の体重とほぼ同等だ。当時より今の方が運動はしていると思う・・・それでも体重がそこまで戻っているということは、現在の方が当時より食事の量、お酒の量が増えているということであろうか・・・謎だw
美味しいもの系では、徳島のあめん棒さんの記事と大阪の焼肉万正の記事が目につくところだろうか。
そうそう、この年の夏は初めて徳島の阿波踊りを会場で観たのだった。踊る阿呆にみる阿呆というあの阿波踊り・・・男踊りより女踊りの方が艶っぽくてよかった印象がある。あの時は暑かった。
こんな具合の2004年の8月だった。全部で100件あるが、1件1件は短い記事がほとんどなので、お時間のある方は覗いてみてくれると嬉しいです。ある意味、当時はどういう時代だったのかが分かる・・・かもしれないです。
次は9月です。引き続きよろしくお願いします。