はて?今となってはなぜこの本を読み始めたのか、そのきっかけを忘れてしまった。
ブログの記事を遡ってみると、2月に読み始めたようだ。
実はこの本を読み始める、否、手に取るのは自分としてはなかなかすんなりとはいかなかった。それは自分の母親がガンとの闘病の末、亡くなって、その時の母親の姿をどうしても思い出してしまうからだ*1。
本書は、著者がブログ(今はなくなっているようです)に書き綴った記事を、立花隆氏が編者となり、記事の取捨選択をして1冊にまとめたものだ。
本書は以下のように立花隆氏の序文で始まり、4部構成の闘病記としてブログは再編され、最後に編者と著者の対談で締めくくられている。
- 序文
- The First Three-Months(2007年8月4日〜2007年10月31日)
- The Second Three-Months(2007年11月3日〜2008年2月8日)
- The Third Three-Months(2008年2月9日〜2008年4月29日)
- The Fourth Three-Months(2008年5月3日〜7月2日)
- 対談「がん宣告『余命十九ヶ月』の記録
内容は、大きく分けて、がん闘病記、庭やかつての職場である奥飛騨の木々や草花の話題、そして研究や教育(仕事)の話題だ。
がんの闘病記は、科学者としての著者の視点から、数値や写真を交え、具体的にその状況、進展具合、抗がん剤治療の効果、そしてそれらの経験から治療の在り方まで書かれている。 その内容は、具体的に記述され、闘病しながらの記録として自分が同じような状況になった時、このようにできるだろうか・・・自分も科学者の端っこにいる人間として同じように自分を、自分の状況を見つめられるであろうかと思わず自問自答しながら読み進めた。自分は多分逃げるだろうな・・・というのが正直なところ。
それは自宅の庭やカミオカンデがあった奥飛騨での草花や樹木の観察でも同じだ。図鑑を購入し、分からない植物や草花を調べ、具体的に特徴などを書き込んで行く。それが闘病生活の辛さを少しでも忘れるためのものであったかもしれない。それでもその観察は、細かく、よく見ている。自分にはここまで観察することはできないだろう。
そして3つ目が、研究のこと、教育のことだ。特に、352ページから370ページの恩師とのこれまでを振り返りつつ、その教育や研究についての記述は、現在の自分を見直すのに参考になると思っている。教育や研究については他にも記述があったと思うが、自分が一番印象に残っているのはこの20ページ弱の恩師との関係を述べた部分だった。
がんを罹患しながらも奥飛騨で研究を続ける日々、実験装置の修理、研究の再開など仕事(研究)に対するその取り組み姿勢などの部分を読むと、自分などは科学者、研究者としてまだまだだな・・・といろいろ考えさせられた一冊でした。
自分はどこで社会に貢献するのか・・・それを考えさせられる一冊でもあったような気がする一冊でした。
*1:母親の闘病で一番残念に思うのは、主治医と最後まで信頼関係を築けなかったことだ。がんのような命に関わる病との戦いの場合、その1番の見方は自分の主治医になるだろう。その主治医との間で信頼関係を築けないというのはがんとの闘病において味方であるべき人が味方ではないと言っても言い過ぎではないだろう。それに対して、自分が何かできたのではないか・・・今でも時々考える。