久しぶりに歴史ものを読んだ。多くの人が良く知っている本能寺の変についての一冊だ。
通常は明智光秀が悪者として全体の構図が作られている。これは誰もがあまり疑わないところだろう。ところが本書はそれに対し、違う見方を提示する。主な登場人物は、おなじみの信長、光秀、秀吉、家康の4名。そして我々が今まで持っていた光秀謀反の構図を正当化した明治新政府の国策。
- 作者: 明智憲三郎
- 出版社/メーカー: 文芸社
- 発売日: 2013/12/03
- メディア: 文庫
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- プロローグ 【問題だらけの本能寺の変の定説】
- 第一部 作り上げられた定説
- 第一章 誰の手で定説は作られたか
- 第二章 定説とは異なる光秀の経歴
- 第三章 作られた信長との不仲説
- 第二部 謀反を決意した真の動機
- 第四章 土岐氏再興の悲願
- 第五章 盟友・長宗我部氏の危機
- 第六章 信長が着手した大改革
- 第三部 解明された謀反の全貌
- 第四部 叶わなかった二つの祈願
- 第十二章 祈願「時は今あめが下なる五月かな」
- 第十三章 祈願「国々は猶のどかなるとき」
- エピローグ【本能寺の変の定説を固めた国策】
信長の国内統一に対する考え、その後の考え、それを逆手に取った光秀の謀反の動機からその背景にある考え、家康の位置づけ、家康と信長との関係・・・特に光秀と家康との関係については「なるほど」と思わず頷いてしまった。それと千利休と関白秀次の切腹・・・この二つの歴史上の出来事についても思わず納得という感じだ。
光秀が信長を本能寺で殺害したという歴史上事実は確かにそうなのだが、しかしその背景、動機はこれまでの理解とは大きく異なる。この本を読むと誰が悪いということはなく、皆がそれぞれの立場で戦い、生き抜こうとし、その中でいろいろなことが起こって、関係ができ、それがまた事態を変えていく。その過程の中で起こったのが本能寺の変であり、秀吉の統一であり、家康の江戸幕府であったということか。
信長、秀吉の唐入りに対する考えは、経済成長を何に求めるかと考えたときの限界を思わせるものがあり、家康の江戸幕府はそれに対する現実解であったのかというようなことも思いながら読んだ。