「なぜ」は最低3回は繰り返しなさいと言われたものだ。学問、研究は一生のものだから、実は「なぜ」は一生繰り返されているというのが実態だろう。「なぜ」というシンプルな言葉はそのシンプルさゆえに強力な味方となってくれる。
最初はシンプルな疑問と思っても、自分の結論に対して「なぜ、この結論に到達したのか」とよ〜く考えていくと次の疑問が出てきたりする。つまり「なぜ」を繰り返すことは、自分の考えていた問題の複雑さを改めて認識させてくれ、それが一筋縄ではいかないものであったことに気づくことがよくある。
そうは言っても時間も限られているので、どこかで「なぜ」を断ち切り、結論を出すことになる。その目安が最初に書いた3回ってこと。そこで条件付きの結論を出す。それが上手にまとめられていれば、次の「なぜ」が出てくることもあるだろうし、複数に発展する場合もあるだろうし、そうでないならばそのまま消えていってしまうこともあるだろう。
また、自分の頭の整理がよくできていない時もそうだ。何が問題なのかさっぱり分からないことがよくあるが、そういうとき「なぜ」という呪文を繰り返すことによって、頭の中が整理されてくることは間々あること。
「なぜ」という問いは常に自分に対しても発せられる・・・「なぜ、自分は今ここにいるのか?」と。そこの認識をちゃんとするところから全ては始まる。それができていないときは、仕事でも研究でも趣味でも迷うことが多い。
今日も「なぜ」とつぶやきながら机に向かう・・・