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僕にとってのもう一つの1985年・・・吉田拓郎ONE LAST NIGHT IN つま恋

1985年・・・もう一つ大事なイベントがあったのを忘れていた。1985年7月27日から28日にかけてのオールナイト・コンサート・・・吉田拓郎ONE LAST NIGHT IN つま恋



最初に拓郎がオールナイトをやったのが1975年のつま恋(夜通しコンサートはこのときの拓郎が日本初)。その次が篠島で1979年。その間が4年・・・だからファンにしてみれば、三度目もオリンピックと同じ4年後の開催で1984年、もとい1983年ですね・・・と思って盛り上がっていた。拓郎もオールナイトニッポンのパーソナリティをやっていて、その話をしていた。

「今回の、朝までやるぞぉー!ですが・・・」てな感じで。

記憶が正しければ、当時84年、ここももとい83年の開催を真剣に検討していたようだったが、結局無理ということを拓郎がオールナイトニッポンで話していたと思う。あの時は「やはり無理なのか」と半ば諦めていたのだったが、そこはさすがと言うべきか、翌年翌々年に開催された。

85年のラストコンサートに向けてという流れもあったのかもしれないが、確か1984年のコンサートツアーの最後が武道館だったが、その最後の曲が「人間なんて」だった。人生最初で最後の生の「人間なんて」・・・20分近い演奏だったと思う。言葉には表せない時間だった。しかも9列目ぐらいのいいところで聴いていたから、その迫力に圧倒されていたと思う。

「人間なんてらららららららぁ〜ら〜、人間なんてらららららららぁ〜ら〜」が演奏の大音響とおともに耳に飛び込んできた・・・ほんとすごかったよ。



それで年は明けて85年。チケットの購入は早春だったのではなかったか。横浜のルミネかどっかのプレイガイド?に朝一番(だったと思う。もっと早かったかも)で行って並んだ。すでに10人前後の人がいたと思う。あの数時間の経験も今となっては懐かしい思い出。まだ春先で寒い明け方だったから、一緒に並んでいる女の子に上着を貸してやる妙に女の子に易しい奴とか、拓郎のコンサートほとんど行っていて、しかもなぜか録音テープを持っている人とか・・・いろんな人がいた。

無事チケットを入手できたときは嬉しかったなぁ〜。

学生生活は前にも書いたとおり、大学院か就職かで揺れ動いている時期(というより回りの友人たちが就職活動しているのを他所に僕自身は就職活動をしていなかった)。まあ、世間知らずの学生がイッチョ前に悩んでいると思っていたわけだけど、そんな中で開催されたつま恋85。

あの日は友達の車で掛川まで行って、その友達の親類の家に車を置かせてもらい、深夜に場所取りのため会場の入り口近くに並んだ。かなりの人がすでに来ていたよ。そして暑苦しい夜が明け、朝。快晴だった。会場の場所取りは、まあそれなりにいい席で、マスコミ席の前。

会場が早まって嬉しかったけど、その分炎天下での待ち時間が長くなり、かなりへばった覚えがある。そして開演は逆にかなり遅くなったのではなかったか。今でもあの時の録音テープは家にある。当日の暑さのためカセットテープが伸びてしまい最初の数曲はちゃんと録音できていなかったっけ。



そして開演・・・1曲目は「悲しいのは」・・・これまでは「あぁ青春」だったのに、変わった・・・このとき、多くの参加者は今日は「人間なんて」はないなと直感したのではなかったか。

全部で4ステージ。数多くのゲスト・・・猫、新六文銭かぐや姫アルフィー、山本コウタロウなどなど、楽しいステージだった。その中でも最高の演奏だったと思うのが、これ・・・高中と後藤次利も参加した落陽。

’85 ONE LAST NIGHT in つま恋 [DVD]

’85 ONE LAST NIGHT in つま恋 [DVD]

  • アーティスト:吉田拓郎
  • 発売日: 2003/11/26
  • メディア: DVD

なんども言いますが、最高の演奏です。

今思うとすごかったなとしみじみ思いますが、終わった直後はくたくたになっていたので、ただ終わったという感覚しかありませんでした。

1985年・・・結構いろんなことがありましたね。



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