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江上剛:我、弁明せず・・・戦前の激動の日本で三井をしょってたった男の物語

竹中平蔵氏のtweetで、「政治家で大事なことは、約束をブレずに守って”結果”を出すこと。」(部分引用)と言われて、その際、この本を薦めていたので読んでみた次第。

主人公の生きた時代はまだ武士の時代の香りがそこここに残る明治期の前半から激動の大正昭和期だ。その時代を三井という企業集団(当時は財閥)をしょってたった男の物語。当初は三井銀行、そして晩年は三井財閥そのものをしょってたち、その改革、近代化を推し進めた。

最晩年は政府の一員として日銀総裁や大臣も務め、戦前の政治においては戦争回避、戦中にあっては戦争の早期終結を考え、行動していた。戦争中にあっても経済活動の重要性を認識し、経済の立て直しに努力したのだが、結果として、軍部に利用されるような形となり、主人公の思うようには必ずしも行かなかったが、周りの情勢を判断し、他者から見たとき必ずしも合理的でないと思える行動においても自分の信念をもって貫き通した。

内容は以下のとおり。

  • 第一章 昭和金融恐慌
  • 第二章 疾風怒濤
  • 第三章 銀行員へ
  • 第四章 出世街道
  • 第五章 三井銀行トップへ
  • 第六章 ドル買い事件
  • 第七章 血盟団事件
  • 第八章 財閥の転向
  • 第九章 波乱の幕開け
  • 第十章 蔵相兼商工相
  • 第十一章 戦争前夜
  • 第十二章 終戦

4569697100 我、弁明せず。
江上 剛
PHP研究所  2008-03-04


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そもそも若い時は、新聞記者を目指し、福沢諭吉の主宰する新聞社に入社するも合わずにすぐにやめてしまう。慶応義塾大学に通いながら、その創立者である福沢を必ずしも受け入れられなかったところが成彬の成彬たるところか。

その後、紹介で三井銀行に入行する。三井銀行では当初は出世が遅れていると自分では認識していたが、徐々に頭角を現し、三井銀行を実質的に動かすようになる。銀行時代の成彬は融資先の選定などで失敗したことがないことなど有能な銀行マンであったが、その面目躍如は、常務になってからの三井銀行の改革だろう。

三井家の銀行から、社会の公器としての銀行への改革。株式の公開など改革を断行していく。その際にも自分の信念を通し、周りを説得していく。さらに団琢磨亡きあと、三井財閥の実質的なトップとなり、ここでも三井財閥を三井家から切り離し、財閥を社会の公器として改革していく。

昭和初期から太平洋戦争突入のころまでの経済情勢が必ずしもうまくいかず、財閥批判が高まっていた時期に行われた改革だった。大衆に対する財閥への批判は、市場原理主義に対する現在の批判と通じるものがあるのではないかと個人的には考えながら読んでいた。

それにしても池田氏は徹底していたと思う。そのような行動を可能にしたのは、適格な情勢判断と合理的な思考だったのだろう。

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