今回、八戸から十和田湖あたりを車で回ってきたが、道路の案内板や地図を見ていて目立つのが、「○戸」という地名だ。
たとえば、東北新幹線の駅にもある八戸。小学校高学年の頃には八戸の他にも二戸とかいくつかあることは知っていたが、漠然と、その地域にはもともと家が八軒しかないからそれが地名になったのだろうなんて陳腐な考えを持っていた。
イメージとしては冬の地吹雪の中に八軒の家がポツンポツンと建っているような原野。二戸や三戸はそれぞれ原野に二軒と三軒の家が建っているといった具合・・・何ともまあ貧弱な頭で考えたイメージなことか。
さて今回、盛岡から八戸、十和田湖周辺・・・この辺りは南部藩の領地であったが、を旅行してみて、一戸から九戸(但し、四戸は除く)があることを改めて認識し、こういう地名のつき方の由来が知りたくなった。
ネットでいくつか見てみると、どうも昔は四戸もあったらしい。あと十戸もあったという言い伝えもあるようだ。もともとは「四門九戸(しもんくのへ)」の制という行政区画の一種であったらしい。それが四戸を除き地名として残り、現在にいたっている。
今は岩手県と青森県の両県にまたがる地域になっているが、地名の由来や南部藩の領地だったことからも、歴史的には経済的、社会的につながりが強い地域だったのだろうと想像できる。
地名から昔の歴史を辿り、いろいろ思いを馳せる。こういうのも旅行の楽しみの一つでしょうか。