同じ著者の「ヒルズ黙示録・検証ライブドア」の続編だ。
堀江氏、村上氏、検察、その他の人々。どのような役割分担だったのかがよく分かる。
ライブドア捜査、村上ファンド捜査、それぞれの捜査でマスコミに出てきた人々の言動。それらの言動を聞いたとき、多かれ少なかれ我々は「?」と思い、首をひねったことが何回かあったのではなかったか。
ヒルズ黙示録・最終章 大鹿 靖明 朝日新聞社 2006-11 by G-Tools |
その理由、背景が本書を読むと分かる。多くは検察の描いた筋書きで書きはじめたものが途中からうまく回らなくなり、そのために多くの人が自分らの被害を最小限にしようとその場その場で、ある意味、芝居を演じた。
それがライブドアと村上ファンドの事件の背景にあった・・・なんとなく感じていた違和感だった。前著と本書を読むことで今回の一連のことの成り行きがほぼ追うことができ、頭の中に巣くっていたもやもやもあらかたなくなるだろう。
で、最後の感想は、「・・・で、結局なんだったのよ?」って感じだ。僕が本書を読んで、もっとも残った部分は以下の部分。ちょっと長いけど引用すると・・・
ライブドアの堀江たちや村上への国策逮捕は、劇的に進む日本の少子高齢化現象のなかで、この国の最大の対立軸のひとつが「世代間闘争」であることを改めて見せつけている。欧州や米国のようじ資源と富の蓄積のないこの国で、団塊以上の年寄りの世代が国富を蕩尽し、彼らは子供たちに「貧乏国家」で暮らすことを強制しようとしている。
バブル経済の崩壊以降、倒産やリストラの経済危機に見舞われたが、多くの大企業や官公庁では中高年管理職じゃ幹部層が、責任を問われることなく居座るか、退職金を手にして円満退社することができ、逆に、社会に出ようとした息子や娘たちを「就職氷河期」で締め出すことに成功した。団塊世代以上の中高年が自分たちの職場と雇用を守るため、子供たちにフリーターやニートになることを強いたのだ。(221ページ)
今回の一連の出来事を世代間闘争で整理してしまうのはそれはそれで乱暴かもしれないけれど、しかし僕はこの部分にどうしても反応してしまう。今回の一連の事件は法律にのっとって裁いてもらえばいいことで、なぜこういうことになってしまったのかということを考えるとき、やはりこの考えには思わず頷いてしまう自分がいる。
これから10年ぐらいはこのような背景を根っこに持つ様々な社会的事件が起こるのかもしれないと考えてしまうのは僕だけだろうか。