日本橋濱町Weblog(日々酔亭)

Quality Economic Analyses Produces Winning Markets

俺流が通じるときと・・・

長く仕事に携わっていれば、それなりに自分流の仕事の仕方が出来てくる。

そのやり方は、当然、否定されなかったわけだから、お客さんからも支持されているし、会社の内部からも批判はされていない。一般的に会社が比較的順調であって、自分流のやり方でも十分貢献しているときは誰も文句を言わないだろう。

しかし、そのやり方が常に支持されるかというと必ずしもそうではなかろう。前提としていた回りの環境が変化してしまうことは間々あることだ。例えば、会社が危機的状況にあるときは、十分に会社に貢献していても、自分流のやり方をあえて引っ込めなければいけないときがある。まあ、これは一時的なものだ。

問題なのは自分流のやり方が一部の顧客に対する過剰なサービスとなっているような場合や費用対効果が非常に悪い場合だ。これはそもそも改善対象となるであろう。それは会社の資源の浪費だから。当初はベストなやり方でも、環境の変化から過剰なサービスや費用対効果の悪いやり方になってしまうことは十分にありうることで、さらに始末が悪いことに、やっている本人はそのようになっていることに気がつかないことが多い。そう、裸のおおさまになってしまっていることが間々あるということ。このようにならないためにはどうしたらいいのだろうか。やはり回りの人間が助けてあげなければいけないと思う。

そのようにならないための自分自身のチェックポイントは、「俺流が通用するのも、それに見合った業績を上げられていてこそなのだ」という点であろうか。そこを忘れてはいけないと思う。