日本橋濱町Weblog(日々酔亭)

Quality Economic Analyses Produces Winning Markets

一人でやるには限界がある

おそらく人間が社会を形成しているのは、「一人でやるのは限界がある」ということを長い歴史の中で学び取ってきたからでしょう。

でも最近はその社会が社会としての役割を果たしてこなくなってきているような気がしますね。それはどういうことかというと、その構成員である個々人が社会に対してコミットしなくなった、あるいはコミットする必要がなくなった、あるいはそれを避けるようになったことにあるような気がします。

なぜそうなってしまうのでしょうか。単純に考えれば、「一人でやることに限界がある」ことを忘れてしまったからでしょうね。最近のコンビニの普及に見られるように個人での生活の可能性を広げるような社会システムが広がっているからでしょうか。

そういえば、昔、「将来の家事は外注化される」といったら笑われたことがあります。しかし今の世の中を見てください。従来、家庭の主婦の仕事とされていたものがほとんどビジネスになっている。つまり現代は家庭、家族を持たなくても衣食は足りちゃう社会になっているんですね。

これは企業社会でも同じで、ITの普及は個人で出来る仕事の範囲を大きく広げました。例えば、僕の仕事で言えば、パソコンやインターネットが普及する前は情報の収拾加工、報告書の執筆、製本等は一人で全部こなすには限界があり、皆で協力しながらやっていたものです。それが今は十分一人でも出来てします。すごい世の中になったものです。

それでも一人でやるには限界があって、1は1にしかならないですね。その1の量はIT技術の普及によってだいぶ変わっていますけど、質の面でみたらどうでしょうか。やはり一人でやることには限界があると思います。

一人でやることには限界がある。人との協力を大事にすることによってそこに1+αが生まれる。そうであることが分かっているのならば、一人で孤立すること、下手な我を張ること、いじけることが如何に無意味なことであることかはすぐに分かりそうなもんだけれど、一人を選ぶ人が結構いますね。

今、競争促進により経済システム全体の効率化を目指しているように思いますが、、こういうことをどうにも思わないのですかね。個々人が過度にばらばらになるのも社会の「非効率」の一つだとおもうのですが。

目を覚ましなよ、そこのあんた!