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新・電子立国、やっと第3巻を読了した。この古い本を今なぜ読んでいるのか、そもそもの問題意識はこちら。
第1巻についての感想はこちら。
第2巻はこちら。
第1巻がパソコン産業の勃興、第2巻が民生用機器へのマイコンの採用、コンピュータ化の話だった。今回読了した第3巻は、パソコンを普及させたアプリケーション・ソフトウェアの話だ。実用ソフト(ここでは表計算とワープロ)がいかに普及していったかが描かれる。
内容は、大きく3つに分かれる。最初が米国での表計算ソフトを中心にコンピュータが普及する上でアプリケーションソフトが果たした役割を追っていく。そこではビジカルク、ロータス123など懐かしい表計算ソフトがいかに激しい競争を繰り広げたかが描かれる。後半では、日本国内の例として、日本語変換の実現、その先にあるワープロソフトの開発が取り上げられる。ATOK開発物語といった感じだが、日本でパソコンが普及するために日本語変換機能がいかに重要だったかが分かる。米国では表計算、日本では日本語変換機能と潜在需要を顕在化させるためのポイントはTPOによって変わる。最後にパチンコ産業における表計算ソフトとの関係が説明される。パチンコ産業は第4巻に入れるべきところ紙幅の都合で第3巻になっているので異色の内容だ。
以上、第3巻は現在のホワイトカラーが仕事をする上で必須の道具、表計算、ワープロの開発、普及物語だ。現在ではそこにプレゼンソフト(例えば、パワーポイント)が加わる。
目次は以下の通り。
- 第1章 晴れたり曇ったりの表計算ソフト開発
- 実用ソフトがハードウェアの売れ行きを左右する
- 表計算ソフトとは何か
- 神経質な”ソフト成り金の青年”
- 表計算のアイディアは、授業中の白日夢から
- 深まるばかりの、黄色い紙の謎
- 森羅万象を「状態の変化」としてとらえる
- 先輩から勧められた開発方針
- 真夜中の屋根裏部屋での表計算ソフト開発
- 宿題の論文は「ビジカルク」で「最優秀」
- 発売と同時に、ものすごい売れ行き
- 表計算ソフトが急速に普及した背景
- 表計算ソフトがパソコンの売れ行きを左右した
- ソフトをつくり変える必要性に切迫感が欠けていた
- 「版元」との熾烈な訴訟沙汰がすべてを失わせた
- ディファクト・スタンダードを予測する至難の業
- 善かれ悪しかれ開発ソフトは今も生きている
- 第2章 渡り鳥暮らしで才能を発揮した実用ソフトの天才
- オープン・アーキテクチャーの先例を熟知していた天才たち
- 天才プログラマーが描く近未来の夢
- ハンガリーの夜を揺るがす”孤独なコンピューター”
- アメリカが買いに来たソ連製コンピューター用ソフトウェア
- デンマークからアメリカへ渡った”驚くべき秀才”
- バークレーからパロアルトへ、そして・・・
- ビル・ゲイツの申入れを受けてマイクロソフト社へ
- GUIを取り入れたアプリケーションの開発
- 第三の表計算ソフト登場に頓挫したビル・ゲイツの思惑
- ビル・ゲイツにして、考えつかなかったのか?
- 第3章 市場を制覇した「第三の」表計算ソフト
- 無視されていたライバル会社のソフトウェア
- 自己開発の表計算ソフトを自由に使う権利
- 生き方も考え方も変幻自在の辣腕企業家
- 自家用ジェット機を愛用し、アロハシャツを蒐集するインタビュー嫌い
- 目標は、「ビジカルク」を超える表計算ソフトウェア
- 「アップルⅡ」は趣味人間のオモチャだった?
- 低レベルのプログラミング言語を使って難行苦行した理由
- IBMの拒絶が結果的に独立を守ってくれた
- 興奮状態をもたらした見本市での大成功
- 偶然のなせるワザと意図的配慮の結果
- 燎原の火のごとき普及を実現させたのは三〇〇万ドルの宣伝費
- ”アプロケーションの雄”と称される会社も居心地は良くなかた
- 第4章 日本語ワープロソフトの最大手企業は、「婦」唱「夫」随で生まれた
- 文字を表す「0」と「1」のディジタル信号
- 人間の意図どおりに文章を組み立ててくれる”道具”
- 徳島市郊外の住宅地ある日本語ワープロの最大手企業
- アマチュア無線クラブで出会った女子学生
- 停電しているときに、どうやってガスタービンを始動させるか
- 両親が承服しても、祖母は強硬に「反対ッ」
- 専業主婦からシステムエンジニアへの変身
- 祖母の誘いに、まずは孫のご主人が応じた
- 小さな部屋での大きな夢の旗揚げ
- 帳票類を見たこともなくてオフコンを売り歩いた
- 専務の勘違いでもらえた最初の注文
- 二号機の受注は、姑さんの俳句がきっかけ
- 社長は営業、夫人はプログラム書きのオフィスは十四坪
- 漢字を表す「JISコード」は十六進法の”数字と英字記号”
- 苦肉の策も、パソコンの登場で不要に
- 英語が全部、日本語になるのは「おもしろいな」
- 「OSに漢字変換機能を付加」で東京の会社から受注
- 少年のようにパソコンに熱中した”助手”役の社長
- 第5章 渾身と熱涙のワープロソフト開発
- 開発目標は”パソコン用の日本語変換ソフトウェア”
- ”コンピューター熱”にとりつかれた二十歳の青年
- 単漢字変換から単語レベルの変換への進展
- 「酪農システム」が「ヒカリ」を東京に呼び寄せた
- ビジネスショーの楽屋裏から新発売の機種に搭載へ
- 「この世に全然ないところ」からのスタート
- 阿波踊りは、目で見ても見えず、耳で聞いても聞こえず・・・
- ポロポロ泣いて乾杯した納品の夜
- ”複合連文節の変換”を目指す
- 製品開発に役立つ構文分析と、学者の研究とはまったく違う
- 「太郎よ、日本一になれ」という気持ちを込めて
- フロント・エンド・プロセッサーは、ワープロ開発の革命
- 期待を一身に担った息子の”裏切り”
- 「こりゃ、出来した」が「なんやら妙なところへ」に豹変
- 人生のホームランを打って「やっぱりええ息子じゃなあ」
- 「私たちの子どもは、会社と社員と製品」
- 市場の覇権を賭けた激しい競争
- 第6章 パチンコホールに生きる表計算の思想
- パチンコ台の「偏差値」をはじき出すコンピューター
- 「大当たり」の確率はプログラムでコントロール
- ”故障”したように玉が出るパチンコ機
- 不渡手形の束からの再出発
- 名古屋生まれの「パチンコ産業の父」
- 表計算ソフトと「正村大福帳」が融合
話は表計算から始まる。当時、大型コンピュータ上で実現されていた機能をPCで動くようにしてしまった。学生の着想を実現するまでの紆余曲折が描かれる。そこでは人間関係の大切さ、協働してくれる仲間、その周りでアドバイス等してくれる関係者の存在が浮かび上がる。
スタートアップの成功の多くは、2人の役割分担からなっている・・・営業(マーケティング)と開発だ。これは多くのスタートアップで当てはまる。Appleの2人のスティーブ、マイクロソフトのゲイツとアレン、ビジカルクのブルックリンとフランクフストン、ロータスのケイパーとサックス、ジャストシステムの浮川夫妻となる。
アプリケーションソフトをヒット商品にするためには仲間の他に理解者が必要だった。相談相手も大切な仲間だ。そしてそれは出資者につながる。後発のマイクロソフトやロータスの成功はタイミングが大切だったことが分かる。ビジカルクの普及での認知向上、IBM PCの発売での巨大市場の出現など。
本書を読んで分かるのは、ハードとソフトの関係で独占する(囲い込む)ことの弊害の大きさだ。オープンであること、自由であることの重要性・・・競争というより、いろいろな人が自分の考えを実現するために自由に試行錯誤できる環境の大切さが描かれているように読める。何か新しいものが生み出されるとき、どのような形であれそこに参加できるメンバーを限定することは開発にとっては少なくともプラスには働かない。
ジャストシステムのATOKの開発は、顧客の要望から日本語変換の潜在的な需要を感じ取り、そこを掘り起こすための努力がいかに大変であったかが描かれている。小さいながらも会社として目標に向かってキーパーソンを中心に一丸となった働きが可能にした成功だった。プログラミングの失敗から経営の失敗まで大小さまざまな失敗も多々経験しているがそれでも前に進んだことが成功をもたらした。諦めちゃあいけない。失敗を振り返り、改善し、前に進むことで成功に近づく・・・このプロセスが大切なんだと改めて気づかせてくれる。そしてこのプロセスを回すためには目標が大切だということにも気づく*1。
当時、日本語変換システムを構築するのに、アカデミアでの日本語処理の研究も当然参考にしたが、多くは研究のための研究であって商品化には役立たなかったという。現在はこの点についてはだいぶ軌道修正が行われて産学連携も多々行われるようになってきているように思うが現状で十分と言えるであろうか。
実はこの巻は3回読んでいる。読み終えてからブログの記事をすぐに書かなかったために内容を忘れてしまい読み直しになり、それを2度も繰り返したのだった。
3回読んで一番頭に残るのは、ここでは実用ソフトの話だったが、ビジネスの成功は、誰にでも可能性はあるが、それを実現するには仲間と人間関係と不断の努力次第ということだ。
続いて第4巻。
*1:こうやって書くのは簡単だが、一組織の人間としてこれを貫くのはかなり大変だと思う。上はすぐに結果を求めるし、周りからはネガティブなことを言われがちだし、他の仕事で時間はとられるしでやめる理由はいくらでもあるから。だから好きなことじゃないとできないのだな。