日本橋濱町Weblog(日々酔亭)

Quality Economic Analyses Produces Winning Markets

新井紀子著『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』:AIの可能性とこれからの経済社会を考える

国立情報学研究所の新井氏が書いた問題提起の書。

AIとAI技術の違い。現在、AIと言われているのは正確にはAI技術のことであること。 AI(技術)にできることとできないこと。現状の数学では汎用AIを実現するのは不可能であること。AI万能論に対して、現実がどういうものなのかを丁寧に説明する。

一方、AIを利用する側の我々の現実を、子どもたちを対象として描き出す。こちらは、子どもたちだけでなく、社会人として働いている多くの人も自分自身のこととして認めるはずだ。

AI vs. 教科書が読めない子どもたち
 

今までの教育システムがもう通じなくなる時代(すでに通じなくなっているとも)がそこまできていることをあからさまにした怖い本だと思う。それを修正するには、プログラミング教育でも英会話力でもなく、実は、寺子屋の時代に戻るようだが、一番基本となる読み、書き、算盤という昔から言われてきたことを丁寧に行うこと*1。量ではなく、質が問われるということだと思う。

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子どもたちの能力を育てるはずの教育システムが実は問題を抱えている(まあ、水は易きに流れるということを考えてみれば、こうなるのは分かる)。これは社会人の世界でも同じだと思う。プレゼンテーションソフトで報告書を作るというのが典型だ。社会人になってから、能力を鍛える機会をこのソフトを使うことによって捨ててしまっているのが現在日本の企業社会・・・と言えないだろうか。

Amazonのカスタマーレビューには様々な意見が寄せられている。これを読んでみるのも面白いだろうが、何しろ自分で手にとって読んでみることだと思う。読む価値はある本だ。章立ては以下の通り。

  • はじめに
  • 第1章 MARCRに合格ーAIはライバル
  • 第2章 桜散るーシンギュラリティはSF
  • 第3章 教科書が読めないー全国読解力調査
  • 第4章 最悪のシナリオ
  • おわりに 

4章立てだが、各章に書かれている内容は濃い。前半はAIの可能性を明らかにし、我々が持つAIに対する幻影を払拭する。後半はそれを受けて、将来、AIが代替する職業についている人々が転職する際の転職先があるのか、あったとしてそのAIに代替される人たちは新しい転職先で仕事ができるのかを著者が実施したRSTからの結果などをもとに考察している。

何もしなかったらAI恐慌という状況もあり得るかもしれないが、現状の課題に気づき、それを打開するための行動を一人一人が取れば、AI社会としてより便利で快適な社会が達成されるかもしれない。

どちらを選ぶかは自分次第ということが、本書を読むとよく分かる。

今年、6冊目読了しました。

*1:その中でも読みが重要だと思うが、自分は、この「読み、書き、算盤」は三位一体だと思う。読みを鍛えたければ、算盤と書きも鍛える必要があるだろう。論理的な思考を養うのに算盤(数学)は必須だろうし、自分が理解できているのかを確認するのは書くことで確認できたりする。あるいは人に説明するでもいいと思う。だから読む能力がAI社会で生きていく上で重要であるのであれば、書く能力、算盤の能力も同じように重要だ。