先日、もう一度、研究なるものをして学術論文を書こうかということを何と無く書いてみた。
その中で下記の文献を紹介したわけだが、それを自分も読んでみた。
その最初に、「何のために研究をしているのか明確な答えがあるか」という項がある。そこをしっかり考えることが大切だということで自分も改めて考えてみた。
一番プリミティブな答えとして、分からないことが分かったり、理解できないことを理解できるようになること、新しい何かを知ることが楽しいというのがあると思う。あるいは、自分の場合は、調査研究を仕事にしているので生活のためというのもあるだろう。
理由の一つとして、承認欲求というものもあると書かれていた。研究という世界で認められたいから研究するというものだ。自分のレゾンデートル(存在価値)を探すことと言えるかもしれない。
承認欲求・・・誰にでもあるよなあと考えながら、何のために研究するのかということを自分なりにその後も今更ながら考えていた。
自分を振り返っていて何と無く承認欲求ということが引っかかり続けていた。確かに自分は仲間に、会社に、世の中に、お客さんに認めてもらいたいという気持ちが強いなと*1。
そのために仕事としての研究をしていてきたのではないかと。もっと言ってしまえば、自分の行動をすることの根本は、この承認欲求が非常に多いのではないか?と・・・自分は他人に認められたくて生きてきたっていうのか?・・・愕然としたyo
それは、何のために研究するのかを問う前に、自分は何のために生きているのか・・・というレゾンデートルを問い詰めると、世の中に認められたいから?・・・なんとも薄っぺらい生き様・・・自分で自分が嫌になる。
何なんだ・・・何なんだ。
承認欲求の塊だったのか?
阿呆らしい。
もう一回研究しようなんて考える前にこっちをもう少し考えて見たほうがいいみたいだ。そうすれば、研究の目的も出てくるだろう。
*1:その中で学会というところが自分で明確に出てこないところがまた中途半端さを思い知らされるようで自己嫌悪になったりした。