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Quality Economic Analyses Produces Winning Markets

岡野先生の追悼シンポジウムに参加してきた

日本の交通政策―岡野行秀の戦後陸上交通政策論議 (日本交通政策研究会研究双書)

日本の交通政策―岡野行秀の戦後陸上交通政策論議 (日本交通政策研究会研究双書)

25日の午後、都市センタービルで日本交通政策研究会による「日本の交通政策を振り返る―政策志向経済学研究者の視点から―」と銘打って、岡野先生の追悼シンポジウムが開催された。
先日の社会情報学会大会に続いて、研究分野の雰囲気に久しぶりに触れることができた。やはり刺激される。
内容は、金本先生の挨拶から始まって、杉山先生による日本交通政策研究会 研究双書 28『日本の交通政策―岡野行秀の戦後陸上交通政策論議―』(岡野行秀・杉山雅洋(共著))出版の経緯と内容の紹介の後、リレー講演として、総合交通体系について太田先生、 国 鉄改革については、手塚先生、道路政策については、味水先生、そして最後に規制緩和政策として中条先生が報告された。
休憩を挟んで、 パネルディスカッションとなり、“日本の交通政策:戦後の経験から何を学ぶか?”というテーマのもと、コーディネータに山内先生、パネリストとして、奥野先生、杉山先生、太田先生、手塚先生、味水先生、中条先生が参加された。
議論は追悼シンポジウムということもあり、終始和やかな中で行われたが、自分として改めて政策を考える時のポイントとして確認されたのは、市場メカニズムの大切さと一般均衡の視点を忘れないことの大切さだった。
市場メカニズムの大切さというのは、市場の失敗と政府の失敗を考えた時、市場の失敗より政府の失敗の方がよりダメージが大きいだろう。よって市場メカニズムが働く分野では基本、政府は介入すべきではないということの再確認。ただし、状況が変わる、特に技術的な変化で前提が変わってくると答えも変わってくるということで、実際の観察が大切だ*1ということ(情報通信などはその好例だろう)。また例えば、交通政策などは通常部分均衡的な視点で政策が考えられるが、所得分配(だったかな)が変わると部分均衡分析の前提が変わるので答えも変わる・・・つまり一般均衡の視点を忘れないことも重要だというもの。
通信、というより最近は情報通信といった方がいいだろうか、の世界も公益事業として元々は同じ土俵で議論するのが普通であったが、今はだいぶ状況が変わっているように思えた。今、通信の世界では、インターネットに代表される技術革新により、電話の時代に規制の根拠とされた規模の経済や範囲の経済は一概には規制の根拠として支持されるものではなく、そういう意味で従来の政府介入の是非を議論する機会は少なくなっているように思える。
そのような状況を考えた時、先日の安部首相による携帯電話の値下げ要請はどのように評価されるべきであろうか考えさせられた。そこについては別に書いてみたいと思う。
蛇足だが、自分の歳を考えても当然なのだが、1980年代の規制緩和・民営化の大きな流れの中で第一線で活躍してきた先生方も皆、歳をとられて、時代の変化を感じざるを得なかった。また21世紀も15年を過ぎた今日、当時に比べてこの分野*2の経済学の存在感が薄れていると感じたりもした。

*1:観察が大切だという指摘は、岡野先生も言われていたことだ。具体的には、「規制緩和と社会的厚生」(公正取引、No.543、1996年1月)の中で、スティグラーの『小さな政府の経済学』(東洋経済新報社)からの引用として「政策的改革、つまり経済のある部分を改良しようとする場合、これまで行ったことの成否を占う一方法、というより唯一の方法は、事態をよく観察し、検討することである」と記している。

*2:今回は交通経済学が中心であったが、公益事業と言われた分野一般にこの傾向はあるのではなかろうか。