日本橋濱町Weblog(日々酔亭)

Quality Economic Analyses Produces Winning Markets

齋藤誠著『父が息子に語るマクロ経済学』はかなり面白い

対話形式なのがいい、行間が広いのがいい、なんといってもいいのは「おわりに」(355ページ)に書いてある以下の著者の言葉。ちょっと長いけど引用すると・・・

 「学問の醍醐味って一体なんだろう」と問われてみて、自分はどうこたえるのだろうか? 読者の方々には突拍子もなく思われるかもしれないが、「手作業の感覚」と答えるのでないかと思う。
 何冊もの読むべき書物を、書き込みをしつつ、ときには、ノートをとりつつ、何度も何度も読み返す。数学的な作業が必要であれば、何枚もの計算用紙、何本もの2Bの鉛筆が欠かせない。データを取り扱う場合でも、いきなり高度な統計分析をあてはめるわけではなく、簡単な統計作業で何枚もの図表を作成して、それらをずっとにらみ続けてみる。膨大な事実を収集しようと思えば、パソコン入力で簡単になったけれども、根気強く記録を重ねなければならない。周囲の人間と、そして、自分自身と、議論を重ねなければ、考えたことを文章にまとめることなどできやしない。いざ、パソコンを前にして文章を書くにしても何度も何度も書き直す。
 大学における学問とは、手作業の連続で、そうした作業を積み重ねていくと、何かが見えてくるのではないかと思う。

こういう感覚が最近少なくなっていると思う。著者は大学に勤めているから大学を前提に書いているけど、シンクタンクと言われるところに勤めている人間もこういう感覚が昔はふんだんにあった気がする。
今もあるんだけど、昔よりは大分後ろに後退しているように思える。先日の記事、「実証研究は地道な作業・・・データを作るということ」でも書いたように手間をかけることに対して概して後ろ向きだ。どちらかというと、時間をかけずに情報を(たとえば企業行動では3C、SWOT、4P、PEST等々なんていう情報のまとめ方で)まとめること、そこにどのような真理が隠れているかを検討することより表面的な事実の収集とそこから読み取れることまでで終わってしまっている。これはこれで必要なのだけれど、それだけじゃねえだろうって感じ(コンサルってそれでいいのかしらん)。もう一段掘り下げなくていいのでしょうか?と問いたくなるけど、今の時代ってそういう状況じゃないというのが素直な思い。
STAPの件もそう。たかだか20回ぐらいの試行で再現できないならやめてしまえとかいうのは科学の可能性を無にすることに等しいと思う。一方で研究を進めるためには資金が多かれ少なかれ必要で、それが枯渇した時点で続けられなくなる。それでも続けるためにはその研究を支持してくれる人を見つけなければならないわけで、世間を無視することはできない。だからこそマスコミの報道姿勢が大切になってくるわけで、今回の件はどうなのだろうと自分は疑問に思っている。検証を、実験を続けられる環境があるなら納得するまでやればいいし、そういう環境を確保するところから研究は始まっているわけで、続けられなくなれば止めざるを得ない。
おっと話が本からだいぶ離れてしまった・・・と言っても、読むのはこれからなので読み終わったらまた記事を書くことにしよう。読む前に薦めるのも無責任と言えば無責任だが、この本は最初と最後を読んで絶対面白いって直感が走ったのだ。こういう感覚は久しぶり。
たぶんここ10年ぐらいは大学も含め伝統的な知識産業は辛い時代が続くと思う。ああ、ろくでもない時代だ。

父が息子に語るマクロ経済学

父が息子に語るマクロ経済学