日本橋濱町Weblog(日々酔亭)

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10年という月日・・・これからも続く通過点で考える

Maruyama20150517
4月8日に「5月14日で満10歳になります。」という記事を書いた。このブログのことだが、改めて始めたころの記事を読んでみると10年という月日の長さを感じる。

ストレートに言ってしまえば、10年歳を重ねたわけだから体は年取るし、頭の中もフレッシュさがなくなっているということになろうか。始めたころの記事を読み返してみると、記事の内容が素直だと感じる。人の目など気にせず、思ったことを素直に書いている文章。

翻って今はなかなかそういう文章は書けない自分がいたりする。なぜか?

扱っている話題もいろいろある。当然、内容が詰まってないものもあるが、それはそれでいいのだと思う。今は形を作ろうとしながら書いているような気がする。ブログだからオープンで誰でも読める。当時は誰が読んでいるなんて気にしなかった。特に仕事関係の人が読んでいるとはまさか考えてもいなかった・・・気にしてなかったと思う。だからこそ仕事と密接に関連していることが多かった自分の研究についても素直に思い切ったことが書けたと思う。

それがいつの間にか書けなくなっていた。自分の記事を読んでくれて、講演の依頼や仕事の依頼につながったこともあったが、その一方で自分の記事に触れられる・・・ことが行動を監視されているような気がして気持ち悪くなった。それで無難な話題・・・たとえば食に関する話題が多くなっていったと思う。そもそも研究についての記事は多くなかったが、それがほぼ皆無になった。他の要因もあり、その後、研究自体を自分で封印してしまった。

メディア環境がこの間劇的に変化した。10年前はブログが出てきたところで、Web2.0という言葉がはやったころだ。その後、Twitterが出て、Facebookが出てきて、Webで情報発信する手段が格段に増えた。今はさらにLINEというメディアまである。他にもいろいろあるだろう。これらのメディアがどういう位置づけで使われているかは人それぞれだ。

自分の場合はなかなか使い分けができなかった。10年前の記事を見ると、今だったら、文章の長さや話題の手軽さから考えて、TwitterFacebookに書くだろうなというような記事もすべてブログに書いている。そう自分にとってはブログがあればよかったのだが、TwitterやらFacebookにも手を出した。そしてブログの位置づけがあやふやになった。

ブログとTwitterFacebookの大きな違いは、体系的に物事を記述することに対する適正だとうと思う。誰かがTeitterは「知の断片化をもたらす」メディアだと言っていた。Twitterは140字の限界、Facebookも情報を流すだけで、知の体系化には適さないメディアだと感じる。実際、Twitterで体系化を実行しようとすると、いくつものTweetを連ねることになる。有名どころでは、茂木さんの朝の連続tweetはその実践例であろう。本格的にやるには限界がある。結果として、論理的な思考とか物事の体系化に関して、自分の場合、その力を弱めることになった。その実践の場(再訓練の場)としてのブログの良さを再度考えてみる必要があるのでは?とも思う。

またそのようにメディアが多様化した時期にブログの最初の役割(家族への日々の報告)が終えたことも大きかったと思う。ブログを止めようかと思ったこともあったし。

こういう状況だったので、何か月も記事を書かなかったこともある。そして何が起こったか?

案の定、文章が書けなくなっていた。ある記事でお世話になっている編集者の人からも「野口さんは文章、書きなれていないですね」と言われた(これはショックだった。裸の王様だと言われたのと同じだから)。人が書いた文章やポンチ絵を添削することはできるが自分で文章やポンチ絵を最初から作り上げることができなくなっている自分がいた。これはどうにかしなくてはいけないという思いが最近強くなっていた。

最近、ブログの記事を書き始めているのはそういう状況が明らかになったからだ。ブログの再活用を考えたのは、自分の現状を変えるためには今のメディアの中でブログが適していると思うからだ。文章を書けなくなった自分をどうにかしなくてはならない。まずはどんな話題でもいいから一日一記事を書くようにしようということで再開した。実際は一日一記事は難しいので書き溜める時もあるし、実際に数日間が空いてしまうときもあるが、何とか続けているし、今後も続けようと考えている。

内容は今までと変わるものではないだろう。初心に戻って、素直な書きぶりができればいいが、そこはどうだろうか。研究に関する記述も再開したいが、ポジショントークをするような研究者にはなりたくない・・・研究者として是々非々で物事を分析し、周りの目を気にせず書くためにはかなり勉強をし直さなければいけないと思う。それでもやろうと考えている。それは今の自分の置かれている状況に対する危機感もある(分析や研究があまりにも蔑ろにされている状況)。

今だからもう一度やり直さなければいけないと考えている。

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