日本橋濱町Weblog(日々酔亭)

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【東京マラソン2011】素晴らしい4時間48分の体験・・・すべての関係者の皆さんに感謝

2月27日午前9時都庁。すっきりと晴れ渡った空のもと、僕は第6回東京マラソンのスタートラインにいた。正確にはAブロックの最後方だ。それでも全参加者36000人の前から3000人目ぐらいにはいたはずだ。

だから開会の挨拶をする関係者の人たちも肉眼で見ることができた。あの時の気持ちの高揚感はなんともいないものがあった。あの場所にいられることがすごく楽しく、これからの42キロを思い切り走ろうという気にしてくれるものだった。

僕の後ろはBブロックの最前列。走る気満々の人たちがスタート時間は今か今かと待っていた。これにはちょっとビビった。スタートした後、蹴散らされるのではないかということが頭の中を過る。まあ、結果としてそれほどではなかった。

9時10分、石原都知事によるスタートの号砲がならされ、一斉にランナーが走り出す。僕がスタートラインを越えたのは1分後…ほぼスプリットタイムとネットタイムの誤差なくスタートできた。これは初マラソンの者にとっては非常に大きかった。最初の関門は飯田橋辺りだったろうか。制限時間まではまだまだ1時間以上の余裕があると確認し、後はペースを崩さないように走るだけと言い聞かせながら走った。

しかし、回りはBブロックの人たち…皆、速い。どんどん抜かされていった。自分は前進しているのに景色は追い越していくランナーばかりが視野に入り、前進している感じではない。目が回るような感覚だった。日比谷公園から品川折り返した後は、浅草を折り返して銀座四丁目の交差点までコースが対面になるので、自分を抜かす人、すれ違う人と前進する景色で本当に気持ち悪くなりかけた。

自分が予定していたペースは、1キロ7分だったがが、実際は最初の10キロはなんとキロ6分で走ってしまった。予定より1分も速いペースこれは後半絶対持たないと思い不安だったが、一緒に走っている他のランナーや応援の人たちに引っ張られあるいは押されて走っていたため、いつもの隅田川テラスランより楽に10キロを走ることができた。

そして芝公園の手前辺りでトイレ休憩を数分。タカちゃんに貰ったエネルギー補給用のジェルを食べて、再スタート。その後も順調にキロ6分前半ぐらいのペースで走っていたが、品川の折り返しまでは遠かった。今回のコースの中ではもっとも馴染みのない区間だったので、距離の感覚が分からず品川が非常に遠かった。こういうのは辛いよ。

品川駅前で折り返し、今、走ってきた道を再度北上する。この時点でかなりの人に抜かされていたが、それでも後ろにはまだまだランナーの波が続いていた。最後の方の人たちはこの時点でもかなり苦しそうだったが、彼ら、彼女らは完走できたのであろうか。

この日は天候が良かったため、水分の補給は最初からまめに行った。5キロ毎の水、10キロ毎のアミノバイタルはことごとく手に取り口に含んだ。水は半分飲んで、半分、口をすすぐって感じ。アミノバイタルは濃いので少量でも口が重くなる。そこで必ず水ですすいだ。これは最後の給水場まで続けた。

日比谷公園の角を銀座方面に向け左折した時は、やっとここからは自分が知っている道、街並みの中を走れるということで気分的にはかなり楽になった。銀座四丁目の交差点付近では、ヤタロさんが応援してくれているはず・・・とどこにいるのかときょろきょろしながら走っていた。結果的にヤタロさんはちょっとしたアクシデントがあり、応援には間に合わなかったそうだ。そのころはだいぶスタミナを消耗し疲れていたのだろう、自分の応援ではないのに自分を応援してくれているように、沿道の声援が耳に入ってきた。

中央通りをひたすら走っていく、そのうち日本橋高島屋の看板が遠くに目に入る・・・もうすぐいつもの通りなれば道だ・・・そして人形町に行けばみんながいる・・・人形町までこれたので応援しているみんなにこの姿を見せられれば最低限の責任は果たせたという思いで新大橋通りに入った。

水天宮の交差点を過ぎ、会社の前を通り、もうすぐ中の橋の交差点だ。そこを曲がれば、居酒屋KのN子や紳士Kが待っていてくれると思い、見過ごしてはいけないと交差点を曲がる前からスピードを緩め、歩いた。そして電気屋の前、最初、どこにいるのか分からなかったが、なぜかヨーちゃんの姿が目に入る。「あれ?」と思い、よく見るとその下にN子とあっ!君がヤンキー座りをしているのが目に入る。そして紳士K・・・はは、みんないてくれたとちょっと感激しながら、バナナを半分食べ、アミノバリューを少し飲み、豆乳をもらった。その場で少々お話をして一息入れてからもらった豆乳を飲みながら再スタート。

豆乳を飲み終え、再度、徒歩から走り始める。そして雷門・・・浅草芸者衆がそろって応援してくれている前を通る・・・そこにはノリエちゃんがいるはずなのだが、当然白塗りだし、こちらも走っていたともあり、どこにいるのか分からなかった。ここから人形町までの道は遠かった。振り返ってみると、人形町から浅草を折り返し人形町で再度みんなに会うまでの往復6キロが一番きつった。

人形町では会社の反対側でまた紳士Kやみんなの応援を受け、アミノバリューをもらい、再度、歩き始めた。それから茅場橋まで歩いた。その間に何人もの関係者から声援を受けた。ありがたかった。

茅場橋を越えたあたりで、「これはもしかしたら5時間を切れるかもしれない」ということに気がついた。そしてそれからはまた本気モードで走り始めた。実は浅草から人形町まで帰ってこれた時には残りは歩いても完走できる時間があったので、完走できればいいと思っていた次第だったが、5時間切りは密かに目標にしていたところでもあり、可能性があると分かったとたん走り始めた次第。

銀座四丁目の信号を左折し、新大橋通りに再度出て入船を右折すると佃大橋が目に入ってくる。その佃大橋を渡るランナーの波、波、波・・・圧倒される人並だった。その人波をかき分けるように、そこからさらにスパート、力は入る。道端には足を痙攣させたりつったりした人たちがかなりいる。自分の足も大丈夫か不安がよぎったが、そこは鍼とマッサージで十分手入れしてきたと自分に言い聞かせ、走り続けた・・・もうゴボウ抜きの世界だった。必死だった。苦しかったけど、楽しかったよ(これは非常識マラソンメソッドに書いてあったことそのまま)。

そして東京ビックサイト・・・ゴールは・・・見えた!

ゴールの瞬間は何とも言えない感覚だった・・・感激だった・・・達成感だった。ゴールタイムは、4時間48分。見事5時間を切った。その後はフィニッシャーズタオルをもらい、メダルをもらい、水や果物などをもらい、そして荷物を受け取り、更衣所へ。だだっぴろい場所だった。そこで20分ぐらい放心状態だった。それからおもむろにケータイで応援してくれたみんなに無事ゴールしたことを伝え、着替えて帰路についた。

東京マラソン・・・今回、初めてフルマラソンを走った。天候に恵まれたこともあった、その他、自分の勘違いからAブロックからのスタートになった、非常識マラソンメソッドという本に出会ったことも大きかった、ヘルスケア青山もそうだ、シューズの選択、ウェア、当日のもろもろのこと、すべてが自分の完走を応援してくれるようにうまく回った。そして沿道の人たち、大会運営の人たち、ボランティアの人たち、皆の応援は本当に感動もんだった。