先日、とあるジャーナリストの方と話していた時、最近の本の出版事情の話になった。
その方が言うには、1冊の本を書き下ろすと昔は15万字ぐらい書いていたが、今は10万字程度に抑えてくれと出版社の方から言われるそうだ。どうしてですかと聞いたところ、最近の読者は1日か2日で読み切れる本でないと購入しないためということだった。
しかもテクノロジーの話をするときは、その専門用語は使わずに噛み砕いて説明しなければいけないとのこと・・・こうなるとほとんど本の内容は・・・書きたいことがどこまでかけるのか!
こうなる背景を考えてみると・・・
- やることがたくさんありそもそも本を読む時間がない。これは自分の現在の実感から。でも興味深い本だと寝るのを忘れて読んでしまうけど
- 一冊の本を読むだけの訓練がされていない。小さい時から本に親しんでいるか否かは結構大きいと思う
- 本を読む必要性を感じない。たとえば一冊の本を読まなくてもネットやケータイで同じような情報か簡単に入手できる
- 知識を習得することに対する思い違いが蔓延している
また少し前にある教育者の方から聞いたことだが、最近の学生は本を読まないそうだ。一番読んでほしい時期、読む時期に読まない・・・う〜ん、どうしたものか。それからノートを取らない・・・否、おそらくとれない・・・そう言えば、社会人で議事録を作れない人も結構いる。
- そもそも大学に来て知識を習得することの必要性が理解されていない
- 予備校や大学で現在は授業の資料を配るので、ノートを取る機会が減っている。
- ネットの普及は情報収集を簡単にしたので、ノートを取るインセンティブも奪ってしまった
- よって聞いたり読んだりして情報を咀嚼し取りまとめる能力が決定的に弱い
予備校の存在・・・いかに要領よく知識を詰め込むかという教育が蔓延している。そこに創造性などという言葉は関係ない・・・でも僕が予備校に通っていた時は、予備校の先生に、大学教授や高校の名物先生がアルバイトしていたりして、いろいろ面白いことを教えてもらった。
ゆとり教育で創造性を育むと言っていたかは知らないが、我々が小中学校に通っていた時の方がまともな教育がなされていたのではないか?・・・そもそも学校が週休二日って何よって感じ。
昔は新しいことにしろ、過去のことにしろ、自分たちにとっては新しい知識、より高度な知識を習得するために教育はあり、その先に新しい発見や発明があったのだと思う。最初に書いた現代の出版状況は社会がまったく逆走している状況と言えるのではないか。
これから知識や情報が産業化され、あるいは既存の産業がそれにより生まれ変わっていくとすれば、重視しなければいけないのは、それを担う人材を育てることだろう。変だよ・・・今の知識や情報と接する世の中の態度。
教育はもっと基礎をみっちり教えて、それと同時に考えることの大切さを教えなければいけないだろう。創造性なんていうよくわからない言葉は使わなくていい・・・考えることの大切さをいかに理解させるかじゃないか?
うまく言えないけど、やっぱり不安な日本のIT社会における人的資本の将来。